資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

ド・ブロイの異脳狩人/Take1 1

 

「枝の刃は手折られた」
 狩人の目がK.K.を捉え、
「王に死を。去にし辺より来て往く末へ。明日の明日のその先までも。絶えることなく王に死を」
 《枝》が彼女の|心臓《なか》を貫いた。
 途端、血という血がK.K.の中で破裂した。熱は滾り身体を巡り、恐怖は狂気の奔流と化して臓物の裡を逆流し、次いで痛みがやって来た。死さえがまもなく訪れた――痛みが急速に薄れ、意識が暗闇に落ちていく。まるで疲れ果てた寝床で安らかな眠りにつくようにK.K.は死にゆき、死体なりの賢明さで最期の光景を瞼に焼き付けようと努めた。
狩人の目がこちらを見ている。ミラーグラスにその正体を晦ましたまま。
「受け入れろ」
 彼女が押し殺した声で告げる。
「それがあたしたちの生き方なんだ」

 それを聞くなり正体不明の怒りが湧きあがり、K.K.は猛獣めいて牙を剥きだし、狩人に咬みつかんと伸び上がり――力尽きて、倒れた。
それがK.K.の最期だった。

 

01 悪徳の積層都市(キュムレイティヴ・レイヤー)

 K.K.は汗だくで跳ね起き、全裸で寝具に包まれていた己を見出した。
 耳鳴りが奇妙な心地よさで静寂の中に響き、窓から差す暖かな恒常灯が白く埃を浮かび上がらせている。息をするのも忘れ、夢と現実の違いも判らず、K.K.は、指先で自分の乳房に触れた。肉の感触。やわらかい。確かにそこに在る生命という、圧倒的存在感。何もかも夢だったのだ――ようやくその《《結論》》に至り、K.K.は胸の中でスタックしていた呼気を、堰をきったかのように吐き出した。
 ノックの音がして、|楢《オーク》の扉越しに、じいやの声が聞こえてくる。
「K.K.? たいへんなうなされようでしたが?」
「殺された夢を見た。怖かった。でも、裸なので入ってこないように」
 じいやが扉一枚の向こうで唸っている。思えば裸だなんて余計な情報を与える必要なかった。つい、思っていることが口に出る。
 K.K.は手早く着替えて寝室を出た。
胸元に赤いリボンをあしらった紺の制服。黒のソックスに、縁取りがかわいい革靴。まっすぐな黒髪は無造作に垂らして、流水めいた髪留めで前髪を押さえる。ピンと伸びた背筋はさながら細身の短剣。よく尖り、よく切れ、よく冷えている。
廊下で待ち構えていた爺やと顔を合わすなり、K.K.は彼の戸惑い顔をひたりと見据えて繰り返した。
「怖かった」
「もう安心でございます」
「怖かった」
「夢は終わりました。おいしい朝食もこしらえてあります」
「怖かったの」
「そうでしょうとも。そうでしょうとも」
「お前はいつも私のほしいものをくれるから好きだ」
 だが、じいやは顔を曇らせる。
「いいえ。わたくしどものほうが、あなたから頂いているのです。全てのものか――あるいは少なくとも、きわめて多くのものを。K.K.、|王《カイゼリン》にして|神《ケーニギン》たる方よ」


K.K.が|王神《K.K.》になったのは、もう12年も前のことだ。幼かった彼女は、先代の王神であった母の跡を継ぎ、わけもわからぬままに世界の支配者となった。
 だからといって何かが余人と異なるわけではない。食事もすれば排泄もする。風邪も引けば怪我もする。背も伸び、ニキビに悩み、胸も膨らんで、控えめながら自慢できる軟らかさになり、月に一度の不愉快も味わう。赤い血の流れた人間だ。
 とはいえ、賢明な彼女は、自分がいかに優遇されているかということには、はっきりと気付いていた。
 佐藤さんの運転で屋敷の門を出、|積層都市構造物群《レイヤード》|第一層《プライマリ》を一望に見渡せる坂道に出る。天井で爽やかな青光を放つ《恒常灯》を浴びて、きらめく緻密な街並みは壮大なモザイク画のよう。学校へ向かう道すがら、何人もの徒歩や自転車のクラスメイトを追い抜く。彼ら/彼女らの視線が、白の高級車の背後に注がれているのが分かる。
尊重と憧れ。少なからぬやっかみと敵意。ただ生きているだけで他人に何らかの感情を抱かせずにはいられない、フラットには生きられない自分の立場を、K.K.はよく把握している。
 だが、一体この世の誰が、社会の目から自由に生きられるというのだろう? いかにして、自分に向けられたバイアスから
逃れられるというのだろう?
 緩やかにカーブを描くコンクリートの道を、小川のような穏やかさで下り、校門の前で車は止まった。佐藤さんがドアを開けてエスコートしてくれる。そんなことしなくても自分でドアくらい開けるのに。率直にそう訴えたことも一度や二度ではないが、もうK.K.は諦めている。
世界が、彼女に|王神《K.K.》としての振る舞いを求めている。彼女は女優。社会という大舞台で、世界から任命された役を演じる、この人生の主演女優だ。
 なら|演《や》りきってみせようじゃないか。