資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

ド・ブロイの異脳狩人/Take1-3

 だが、彼女の納得に楔を打ち込もうとするかのように、校庭の向こうに2つの影が現れた。はじめK.K.はそのうちひとつ――童顔の若き政治家のほう――のみを認め、飛び上がって手を振った。
「|小博《シャオボー》!」
 しかし、クソ真面目な顔して手を振り返す|李博宇《リー・ボーイ》の後ろに、黒々とわだかまる夜そのものの浮き出たような影を見、K.K.の顔は凍り付いた。両脇の友人たちも庇ってはくれない。
「イシュトヴァーン伯父様……」
 この恐るべき老人を前にしては。

  王朝|六常侍《りくじょうじ》がひとりイシュトヴァーン卿にかかっては、一種の治外法権を黙認された学院といえども平身低頭言うがままになるしかない。学院長は自らK.K.たちを応接室に案内してくれ、給仕のような愛嬌で飲み物の注文まで取ろうとした。|博宇《ボーイ》が慇懃にそれを拒絶し、応接室から学院長を追い出す。
 K.K.はイシュトヴァーン卿と一対一で向かい合わせに腰掛け、固い顔をしていた。この世界の実質的統治者たる伯父のことが、K.K.は昔から苦手だった。亡母からみれば、卿は30以上も歳の離れた兄であるらしい。だが記憶の彼方にある優しげな母の肖像と、この厳しい老人の顔は似ても似つかない。長く垂れた灰色のあごひげが針金のように固く揺れ、岩の擦れるような声が薄い唇の奥から漏れ出した。
「変わりはないか、K.K.?」
「ええと、その」
 応接机の下で膝が震えている。卿の背後に直立不動の|博宇《ボーイ》が見えるのだけが小さな救いだった。K.K.は拳を握りしめ、勇気を奮い立たせて返答する。
「はい。元気です」
「役目を受け入れたというのだな」
 役目。|王神《K.K.》という役目。やり手の伯父の前に立ち、傀儡として愛らしく振る舞う大切な役目。
「そうです――何年も前から」
 イシュトヴァーン伯父が妙な顔をする。|博宇《ボーイ》に目配せをする。|博宇《ボーイ》が口を開く――明らかに戸惑っている。
「K.K.、本当に変わりはございませんか? 何か――心身の不安であるとか、わだかまりのようなものは」
「ぜんぜん? 元気だよ。んー……朝、すごく寝汗かいてたけど、怖い夢を見たから多分そのせいで……」
「よろしい」
 イシュトヴァーン伯父が立ち上がった。こうして見上げると伯父の長身は眼前に立ち塞がる断崖絶壁のようだ。
「近いうちにまた話すことになるだろう。忘れるな、K.K.。余人にお前の代わりは務まらぬ。この世でただひとり、お前だけが……」
 伯父はそこで激しく咳き込み、|博宇《ボーイ》に背を擦られた。だが若者の気遣いを乱暴な手付きで払い除け、足枷を引き摺る囚人のような足取りで出て行ってしまった。後に残された|博宇《ボーイ》は気を悪くした風もなく、主人の不機嫌な背中にそっと頭を垂れる。
「伯父様のお付きも大変だね、|小博《シャオボー》」
「そろそろ|小博《シャオボー》はやめてもらえませんか、いい歳なんですから」
「まだ30歳にもならないでしょ。若い若い。まだいけるって! 私、|小博《シャオボー》だったら付き合えるなー」
「ご冗談を」
 |博宇《ボーイ》が耳まで真っ赤になって目を逸らす。からかいがいのある愛らしい男。まだ母が生きていた頃、彼のことを|小博《シャオボー》と呼んで可愛がっていたのを覚えている。K.K.にとっては数少ない母の記憶のよすが。数少ない、本音を出せる相手のひとり。
 その|博宇《ボーイ》が、妙に改まった様子でK.K.の前にひざまずく。
「K.K.……もし、もし何か……困ったことがあったら、朝廷に来てください。私が力になりますから」
「うん。いつも頼りにしてるよ」
「光栄です……それでは、また」
 |博宇《ボーイ》が出て行った。
 ひとりになるや、K.K.は愛想笑いをあっさり捨て去り、小首を傾げる。
(なんか普通じゃないな……なにか起きてる? なんだ?)