資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

女狩人は王を狩る(仮題) 試し読み1

 ケイと初めて出会ったのは、|仁清路《レンチィンル》沿いのゲーム・アーケイド前でのことだった。その時の|黒霧《クロム》はまだ11歳の小娘に過ぎず、力も知恵もないばかりか《疫病ネズミ》のように汚れていて、《恒常灯》の落とされた暗い裏通りに全く似合いの《《小道具》》だった。
 そう、登場人物ですらない。ちっぽけな万引常習犯――つい先刻、疎らに再利用品が並ぶだけのストアから、腐りかけた|蛋白質《ペプチド》キューブを盗み取り、目の窪んだ骸骨のような店主に追い回され、棒で打たれ、|強姦《レイプ》されかかり、手近なコンクリート片で店主の眼球を叩き潰して逃げてきた。こんな事件、珍しくもない。握りしめた石くれと同程度にありふれた彼女は、台詞はおろか役名すら持たない、舞台の隅でちょっとした雰囲気出しに貢献するだけの、取るに足らない舞台装置なのだ。
 だが、《《そいつ》》は違っていた。
 |黒霧《クロム》が疲れ果て、塵山の隙間に尻をねじ込んで喘いでいると、不意に《《あいつ》》が現れた。妖精めいた軽やかなステップ。天使の翼を思わせる金色の美髪。アーケイドの中から漏れ出す“魔術師城戦車戦”画面のライム|光《ライト》が《《彼女》》の横顔を暗闇の中に浮かび上がらせる。
 |黒霧《クロム》は息をすることさえ忘れた。《《そのひと》》は、ただ美しいというだけじゃない。《《何者かである者》》だけが持ち得る恐るべき煌めきを、直視さえ拒む眩さで|黒霧《クロム》の目に焼き付けようとしているのだった。
 《《ケイ》》がこちらを向いた。|黒霧《クロム》は我に返る。煌めきはいつの間にか見えなくなっていた。理性が感性を錆びつかせたのだ。相手も自分と同じ年頃のガキに過ぎない、と怖気づいた己を奮い立たせ、また裏通りの小道具たる自分のありようを思い出して、文字通り牙を剥き出してみせた。
「なに見てやがる」
 ケイは瞬きすらしない。|黒霧《クロム》の胸に正体不明の怒りが湧き起こる。
「|手前《てめえ》からも奪ってやろうか!」
 するとケイは――あの腹の立つ女は、自身の薄い胸に手のひらを当て、大真面目な顔をしてこう返したのだ。
「――わたしの|心《ハート》でよければ」
 ――ときめいてしまった。なんたる不覚。
 これはひどい不意打ちだ。
 ひとときの沈黙の後、|黒霧《クロム》は壊れたタンクから水が溢れ出すようにして笑いだした。一緒になってケイも笑う。笑い、笑って、どこかから騒音に怒った酔いどれの罵声が聞こえ、それがおかしくてまた笑った。笑い終えて|黒霧《クロム》は尋ねた。そうするのが自然だと思えたからだ。
「なんなんだ、お前?」
「ケイ。|最下層《ロウアモースト》の花売り。あなたは?」
「|黒霧《クロム》タカセ。仕事は、いろいろ」
 ケイが手を差し伸べてきた。|黒霧《クロム》は無意識にそれを掴み、掴んた自分に驚き、助け起こしてもらい、何か返さねばならないと思いついて、盗ってきたばかりのキューブを半分渡した。ふたりして口に放り込み、ひと噛みして口を揃えることには、
『まずい』
 顔を見合わせ、また笑う。
 今でも鮮明に覚えてる――出会いは、そんなふうだったのだ。


続く