資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

焦がし砂糖は甘くて苦い。 冒頭試し読み

"S.o.S.;The Origins' World Tale"
EPISODE in 1313 #A10"Not Only Sweet..."/The Sword of Wish


 この胸のときめきは、船着広場の賑わいのせいでも、昼下がりの陽気のせいでもない。万年仏頂面のカジュでさえ、もう認めざるを得なかった。
 ――ボク、テンション上がってるんだ。
 港湾区中央船着場前、通称“脱出広場”。内海全域から船が集まる一大港湾都市の中心となる発着場である。世界最大の港と言っても過言ではないこの場所は、いつも溢れんばかりの人波でごったがえしている。
 休憩を終え仕事場に戻る荷担ぎ夫。遅めの昼餉に向かう日焼けした水夫。慌ただしく駆け回る丁稚坊主に、威勢のいい物売り娘の掛け声。仕事を求め彷徨う日雇い、獲物を探して目を光らせるスリ、ポン引きも数しれず。馬車を引く商人は馬の機嫌を損ねて四苦八苦、旅行者たちは物乞いどもにたかられて、娼館の小娘は姉貴分に頼まれた買い物を胸いっぱいに抱えて帰る。
 その賑わいは、さながら百万の楽器が一堂に会する大演奏会のごとくであった。といってもそこに指揮者はいない。居合わせた無数の人々が、思い思いの音を出し、調子っぱずれにがなりたて、しかしそれらが重なるうちに、不思議とひとつのメロディへ収束していく。混沌の織りなす芸術――当人たちに、その一端を担っている自覚はあるまいが。
 この人混みから特定の人物を探す、となれば、これは至難の業である。が、先ほどからずっと、カジュはその困難に挑み続けているのであった。
 広場の片隅に、脚を広げて立っているのは、美貌の女剣士、緋女。カジュは緋女の肩を踏み台にして、広場全体にぎらぎらと目を光らせていた。特に注目すべきは旅行者だ。ずっと会いたいと思っていた、とある組織の派遣団が、今日、ここに到着するはずなのである。
「どお? いたー?」
「んー……。」
 緋女がポカンと口開けて上を向くが、カジュは低く唸るばかりだ。何しろ通行人は星の数ほどいる。そのうえ絶え間なく動き続けているのだ。そう容易くは見つかるまい。
 もうかれこれ1時間あまりはこうしているのだ。緋女はそろそろ飽き初めていたが、頭上のカジュは退屈するそぶりさえ見せていない。何が彼女をこうまで駆り立てるのか、緋女にはさっぱり理解できないたのだが――
 と、不意にカジュが声を上げた。
「あ。いた。」
「え、マジ?」
 ひょい、と地面に飛び降りて、カジュは脇目も振らず走り出した。小さな身体を最大限に活かして人混みを潜り抜け、何度か人とぶつかりながらも、目指すところにたどり着く。
 そこにいたのは、雑然とした港町には不釣り合いなほど落ち着いた物腰の、五人の紳士たちであった。
 彼らはデュイル風の優雅な衣服に身を包み、港の風景を物珍しげに見回していた。上流階級の人間なのはひと目で分かる。しかし貴族ではない。引き連れた下男はわずかに二人。荷物の量といい装いといい、貴族にしては質素に過ぎる。
 その中のひとり、誰よりも柔和な笑みを浮かべた紳士が、まことに楽しそうに連れに語りかけていた。
「ごらん諸君、この街並みを。たった10年でこの変わりよう。都市計画の緻密さと、それを具現化した法整備の周到さには舌を巻くばかりだよ。まったく見事なものだねえ」
 その話し声は耳心地良い演説のよう。それを聞きながら、カジュはぼんやり立ちすくんでいた。自分でも信じられない。足が動かない――《《緊張している》》。物怖じなどしたためしがない、普段なら王族相手でさえ自分のペースを崩さない、あのカジュがだ。
 あの紳士に声をかけたかった。そのために来たのだ。何年もずっとこんなチャンスを待っていたのだ。それなのに――
 そのとき。
 どん。
 と、背中に何かがぶつかった。我に返って振り向くと、後ろには緋女、頼れる相棒。彼女の手のひらがカジュの背を押してくれたのだ。何も言葉はなかったが、視線を交わしただけで思いは伝わってきた。曰く、「がんばれ。ずっと待ってたんだろ」と。
 カジュは無言でうなずくと、腹の下にグッと力を込め、意を決して紳士たちの前に飛び出した。
「あのっ。」
 紳士たちの視線が、一斉にカジュに集まる。再び襲い来る混乱と圧迫。
 だが、
 ――負けない。
セレン魔法学園の、先生がたですよね。」
 紳士のひとりが眉をひそめ、あからさまな不快を顔に浮かべた。次いで発せられた声は硬質で、言葉の冷淡さをいや増すかに思われた。
「何の用だ?」
 ムカついた。
 物乞いが何かと思われたに違いない。いずれにせよ、こんなチビの子供とまともに会話をする気はないのだ。お偉い先生がたとしては。
 そう気づいた途端、不思議なことに、身体の芯から力が湧いてきた。さっきまでの怯えはどこかに消えてしまい、いつもどおりのカジュ・ジブリールが彼女の心を支配した。
 ――ボクは天才美少女術士。怯む理由はどこにもない。
 カジュはしっかと足を踏ん張り、普段と全く変わらない不遜極まる声色で、叩きつけるようにこう言った。
「ボクを学会に入れてください。」



勇者の後始末人
第10話“焦がし砂糖は甘くて苦い。”