資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

ザナリスの昏き竜姫 1-4

 僕は小さく鼻を鳴らして、黒板の方に目を向けた。ちょうど先生がやってきたのも、不愉快な会話を打ち切るには好都合だ。無論、また一日、退屈極まりない平和な日常の始まりではあって、その意味では極めて不都合と言えたけれども……

  *

 1限、下位帝国語文法。2限、線形代数学。3限、魔術式構造概論。4限、神学(A)。よりにもよって僕の苦手科目ばかり。それでも背筋を正して授業を受けるのは、ひとえに姿勢不適切の罰則が怖いからだ。
 しかし、頭の中で、僕ならぬ僕がこう言っている。
 これがなんの役に立つ? お前はこれを学んで何になろうと言うんだ?
 先生たちの説くところによれば、12年次までの成績如何で人生が大きく左右されるという。好成績なものはハチノスの中枢を制御する〈管理者(ケーニギン)〉にも成れようが、そうでないものは低層構成員として悲惨な一生を終えることもある。上への憧れ、下への蔑み。先生方が武器にするものは決まってそんなところだ。熱心な進路指導、まことにありがたい。
 念のため付け加えておくが、これは皮肉である。先生たちともあろうものが、生徒のために熱心になることなどありえない。彼ら彼女らが必死になるのは、ただ自分に課せられたノルマのため。何人の生徒を「中枢」に上げられるかが、彼ら自身の成績になる。力も入ろうというもの。ハチノスに、この世界そのものに、力と存在を認められるために。
 僕らはみんなハチノスの囚われびと。先生だって例外じゃないってわけだ。
 僕らは辛い日常をこなして、自分の知識と技術を高める。なんのため? 世界(ハチノス)に貢献するため。〈管理者〉にでもなろうものなら、今度は子供を作る権利と義務が生じる。作った子供は学園で学び、彼らがまた子供を作り……
 ハチノスのため。全てはハチノスの維持と発展のため。
 どうして?
 なぜ僕たちは、ハチノスを守らなければ、発展させなければいけないんだ?

  *

 と、いうようなことをつい口に出してしまったら、スタルカスとジョニーはまともに青ざめた。ジョニーなどは怯えるあまり、両手を動員して僕の口を塞ぎ、強引に黙らせさえした。
 規律にうるさい教室とはいえ、昼食休憩の間はさすがにざわついている。スタルカスが油断なく部屋中に目を走らせる。こちらの声を聞きとがめた者はいないようだ。最も注意すべき相手、ダンクレア委員長殿も含めて。
「お前何言ってんだよ」
 とスタルカスが小声で囁き、ほとんど同時に、身をすくめて凍りついた。窓の外の廊下を、規律正しい一団が行進していくのが見えたのだ。本物の魔術杖を肩に担ぎ、暗銀をあしらった優美な甲冑に身を包み、一糸乱れぬ足運びで、ガラス一枚隔てた僕らのすぐ横を過ぎ去っていく。彼らの背中がすっかり消えてしまって、ようやくスタルカスは胸を撫で下ろした。
「もし〈魔杖兵(アーマイゼ)〉に聞かれでもしたら」
「きっと共感してもらえるよ」
 ジョニーに口を塞がれたまま、僕はもぐもぐと呑気な意見を述べた。ついでにジョニーの手のひらをペロリと嘗めてやる。彼が子犬のような声を上げて、ようやく拘束の手を引っ込めた。
「ジョニーはくすぐったい」
「くすぐられたかったろ?」
「そうかも」
「真面目な話だろ、これ」
 スタルカスは不満そうだ。僕としては完璧に真面目なつもりだったのだが。少なくとも、委員長のおでこの広さが完璧なのと同程度には。
「今まで何人〈脱落〉したと思う? お前はただでさえ特別教室経験者なんだから……」
「あそこで学んだことはひとつだけ。肉体的精神的な暴力なんて最低ってことだ。そんなものに頼らなきゃ維持できない世界ってなんだ?」
「お前、疲れてんだよ。これ以上目をつけられるようなことするなよ、なあ、頼むから」
「この檻の中だけで、僕たちは檻(ハチノス)そのものを再生産し続けている。そんなことになんの意味があるんだ」
「一体誰にそんなこと吹き込まれたんだ」
「自分で考えたんだよ!」
 うっかり僕は声を荒げてしまった。
 椅子を蹴って立ち上がり、教室中の視線が集まるのも構わず、胸の中に溜め込んでいたものを思うさま吐き出した。
「ここは本当に僕らの居場所なのか? 本当は……もっと別の場所にたどり着くべきなんじゃないのか? あの壁の向こうの、広い広い〈砂漠〉を越えた、さらにその奥のここじゃない何処かへ!!」
 教室中を満たした静けさは、氷さながら。
「お前……」
 スタルカスがなにか言いかけた、その時だった。
 運命の号砲が唸りを上げて、教室棟そのものを下から突き上げたのは。