資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

刃の緋女 7

 今や一国一城の主となったセコイヤ・コスイネンは、でっぷりと太った見苦しい身体を上下に弾ませながら、落ち着きなく屋敷の中をうろついていた。苛立ちを隠すことはできなかった。思い通りにことが運ばない。彼の類まれな力を持ってしても。
 彼の旧主ボダクルは、後始末人だかいうならず者の働きによって虜囚となった。その財産は国家によって全て没収され、大商家の支配人として幅を利かせていたセコイヤも、一夜にして寒空へ放り出されたのだ。
 しかし、そこから先が彼の才覚の優れた所である。路頭に迷っていたところに〈企業〉の使いが現れ、支援を申し出たのだ。おかげで彼は不死鳥の如く蘇り、かつてボダクルがやっていた商売を丸ごと受け継ぐことができた。すなわち、〈企業〉の尖兵として違法な魔獣、薬品、呪具、その他諸々を扱う商売を。
 全て、彼が有能なればこそである(単なる幸運、あるいは〈企業〉に体よく利用されている――などとは夢にも思わない。なぜなら彼は疑う余地もなく素晴らしい人間であるから)。にも関わらず、今、突如として障害が彼の前を塞いでしまった。後始末人ヴィッシュ。何度殺しても殺し足りない仇敵。彼を絶望の底に叩き落とした、この世に在るべからざる邪悪だ。
 彼はこうした荒事の専門家を雇い入れ、その男に一任して後始末人の抹殺を画策した。作戦の第一段階は図に当たり、うきうきと第二段階に取り掛かったところで、使えない部下どもが失敗した。たかがひとりの男を相手に、三人係で闇討ちを仕掛け、そのくせ負けて逃げ帰ってきたのだ。
「使えん! 使えんやつだなあ!」
 悪しざまに罵るセコイヤの背後で、大きな寝椅子にゆったりと横たわっていた男がひとり、到底愉快とは言い難い冷笑を浮かべた。セコイヤがそれを見咎めて、怒りとも怯えとも付かない視線を投げる。
「なんです、先生……」
「討ち手の数をケチるからだよ、スポンサー。私に任せておけば良かったのだ」
 この男、セコイヤが雇った、先述の“専門家”である。痩せた魔族の男で、蜥蜴を思わせる丸い不気味な目をしている。玄武岩色のごわついた肌もまた、重なり合った固い鱗さながらであった。
 名はギュミズゴーグ。裏ではそれなりに名の知れた、荒事の請負人である。
 ギュミズゴーグはククと笑いを含ませ、
「相手は腕のいい剣士なんだろう。半素人の3人くらい、そりゃああしらわれるだろうよ。私の手配したやつであれば――」
「先生、もう随分予算がオーバーしてるのですよ。これ以上は……」
「これ以上、かさむ事態になったと気付かないかね?」
 セコイヤは眉をひそめた。ギュミズゴーグが億劫そうに立ち上がる。
「尾行されていたよ、先の刺客は。私が相手ならそうするね」
「では?」
「あなたが黒幕と知られたとみていい。儀式の場所まで悟られたかもな」
「……大変だ!」
 慌ててセコイヤは部屋を飛び出した。どこへ行く気だろう。儀式場までだろうか。彼が顔を出したところで何が解決するわけでもあるまいが、とにかくどこかへ行って誰かを怒鳴りつけていなければ、不安に耐えられないのであろう。
 ギュミズゴーグは小さく鼻を鳴らした。今回のスポンサーは愚鈍な男だ。金が惜しいなら、復讐など捨て置いて商売に精を出していればよい。金にならないことに首を突っ込みながら、一方で手持ちの資金が減るのを怖がる。そんな半端なことだから、敵に急所の所在を知られることになる。
「ま……場所を知られたところで、私の備えは万全だがね」

 万全の備えだ。これはまずい。
 ヴィッシュは件の倉庫に向かい、隣の屋根の上から様子を窺ってみれば、その警戒ぶりは並大抵のものではなかった。立ち並んだ大きな倉庫三軒が、周囲を20名近い見張りに巡回されている。三軒のうちどれで儀式が行われているのか外からでは伺い知れず、中を確かめようにも、壁には明り取りの小窓があるばかり。侵入口になりそうなのはせいぜい天井に空いた空気抜きの短い煙突程度だが、あんなところから入れるのは――ヨブくらいのものだ。
「兄ィ、見てきましたよう」
 ひそひそと囁きながら、ヨブが音もなく戻ってきた。ふたり揃って、見つからないところへ頭を引っ込める。
「どうでした?」
「いやあーヤバいっす。なんとびっくり象獅子(ベヒモス)が3匹」
 う、と、喉の奥から呻きが漏れた。象獅子(ベヒモス)といえば、数ある魔獣の中でもとびきり厄介な大物だ。格闘戦の能力だけなら鱗の竜(ヴルム)にさえ匹敵する。これを仕留められる狩人は、第2ベンズバレンにも片手で数えるほどしかいない。
 相手の名を聞いた時点で魔獣が出てくることは覚悟していたが、まさか象獅子を3体とは。
「戦争でもする気かよ……くそっ」
「どうします、兄ィ」
 再び頭をもたげた焦りに頭を乱暴に掻き毟り、ヴィッシュは腹の底に呼気を詰め込んだ。
 ――どうする?
   どうすれば勝てる……緋女を救えるんだ?