資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

刃の緋女 5 改訂版

 それからヴィッシュは街中のいたるところを駆け回った――市場、教導院、貸倉庫、飯屋に飲み屋、果ては娼館に至るまで。それぞれで顔見知りを探し、何か密やかに言葉を交わしては、すぐさま次の場所へ飛んで行く。昼は風の如く過ぎ去って、夕暮れの息遣いが早くも空を蝕み出した。
 焦ってはならない。焦っては。
 そう己に言い聞かせながらも、逸る心は自然と体に現れた。さらに2、3の心当たりを駆け足に巡り、最後にとある呪具屋を訪れた。ここでどうやら満足の行く結果が得られたらしい。
 ヴィッシュは、店主にくれぐれも頼むぜ、と言い残して、店を後にした。ふと気がつけば、第2ベンズバレンの狭い空はすっかり蒼紫に染まっている。じきに宵が過ぎて夜が来る。そうなれば出来ることも限られてくる。早く、早く――
 と。
 次の目的地へ歩みだしたヴィッシュは、尾行者の気配に気付いた。日も暮れて通行人も疎らになった一本道を、灯りも持たずつけてくる者がいる。無論、無辜の市民がただ偶然同じ道を歩いているだけかもしれないが――
 ――確かめてみるか。
「あっ」
 小さく声を上げ、突然ヴィッシュは反転して引き返した。さも、大事な用を思い出したと言わんばかりに。後ろの男とすれ違う。と、その男はしばらく素知らぬ顔で歩んだ後、踵を返し、またヴィッシュの後を追い始めた。
 その尾行者の姿を、ヴィッシュは角を曲がるついでにちらと確認した。
 ――間違いないな。
 そして、血に飢えた獣の顔でほくそ笑んだ。
 ――やっと来たか!
 ヴィッシュはそのまま闇に包まれた路地を伝い、汚れた裏通りの安酒場を訪れた。戸を開けてみれば、蝋燭を惜しんだケチな灯りの下に、どんよりと酔気ばかりが立ち込めている。やる気のない給仕の娘と飲んだくれどもがのたうつ中に、ヴィッシュは求める顔を見出した。
「酔いたいなあ。酔いたいよねえ……」
 隅のテーブルの上にとろけるように寄り掛かり、ヨブはひとり管を巻いていた。彼はヴィッシュより少し年上の痩せた男で、少しばかり垂れ目なのを除けば特徴らしい特徴もない顔をしていた。平々凡々。あまりにも。少し目を離せば、どんな人物だったか思い出せなくなるほどに。
 ヨブの前には酒瓶が4、5本も並んでいたが、ちっとも酔っていないように見える。
「ああ、酔ってしまいたい」
「またかい、ヨブさん」
 ヴィッシュが呼びかけると、ヨブはのたりと顔を持ち上げ、愛嬌のある笑顔を浮かべた。
「兄ィ! ぼく、酔いたい」
「ヨブさん、酒強すぎるんですよ」
「そんなのってないよう」
 ヨブはめそめそと机に伏してしまった。思わずヴィッシュは苦笑する。
 異端の後始末人、“探し屋”ヨブ。彼は、後始末人協会ができる何年も前から魔族狩りをやっていた古株である。もとは北方の街にいたらしいが、訳あってベンズバレンに越してきたのが5年前。その直後魔族に襲われ、危ういところをヴィッシュに救われて、以来彼のことを“兄ィ”などと呼び慕っている。年上でキャリアも長いヨブにそんな風に扱われるのが、ヴィッシュとしては、くすぐったくてならないのだが。
 ヨブは剣も弓も使えないし、魔法の知識もない。だが、街中での尾行、潜入はお手の物。金と時間さえあれば、どこにでも潜り込めるし何でも探し出せる。もとは盗賊だったのではないか、とは専らの噂だ。
「ヨブさん」
「ふぁい」
「酒はそのくらいにしときなよ」
「やだよう。ぼく、飲むもん?」
「仕事を頼みたいんだ」
 と言った途端、ヨブはがばと身を起こした。先程までの、煮崩れた蕪のような顔はどこへやら。狩人の双眸が明星めいて輝いた。
「こりゃあ酔ってる場合じゃねえな」