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資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

刃の緋女 2

 感情は炎の如きもの。燃え盛っているのは明らかでも、その形は常に揺らいでひとつの姿に留まらない。掴みどころなどあるはずもなく、それでいて、手を突っ込めば肌を痛烈に焼き焦がすのだ。
 とりわけ緋女にとっては手に余る代物であっただろう。何しろ彼女は、言葉というものがよく分からない。言葉にはいまひとつ信頼が置けない。なにしろ、どんなに言葉を練ったところで、胸の中にある炎の全てをいい果せた試しがないのだ。賢い者たちにとっては、そうでもないのかもしれないが。
 そうしたわけなので、緋女は言葉にならない憤りを胸の中に溜め込んだまま、第2ベンズバレンの小径をうろついた。特に目的はない。ただ歩きたかっただけだ。体を動かしていれば、こうした怒りの正体について、ふと理解できることもある。できないこともある。少なくとも、こうしているうちにいずれ感情の火勢が弱まり、消し炭の中の微かな赤熱の如くなって、拾い上げることも忘れ去ることも容易になるだろうから。
 そんな風に心と身体を強張らせていたからだろうか。自分を取り囲む悪意の気配に気付くのが、一瞬遅れた。
 緋女は我に返り、当たりを見るでもなく見回した。ここは要塞通りの裏小路。左右は背の高い建物が城壁さながらに建ち並び、ゆったりと弧を描く石畳の路に、いくらかの通行人が流れている。
 怪しい者の姿は見えない。が、緋女の鋭敏な嗅覚が、建物の裏や曲がり角の向こう、屋根の上などに散在する体臭を確かに嗅ぎ取っていた。
 緊張の匂い。恐怖の匂い。それらを上から塗り潰す、力強い憎悪の匂いだ。
 通行人が通り過ぎ、巻き添えの心配がなくなるのを待ってから、緋女は足を止めた。刀の柄にそっと手を掛け、辺りに首を巡らせながら呼び掛ける。
「出て来いよ。相手になるぜ」
 憎悪の中に戸惑いの匂いが湧き立つのが感ぜられた――と、ひとりが前方に立ちはだかったのを皮切りに、横から、後ろから、あるいは上から、十人あまりの男たちが姿を現した。
 今度は緋女が戸惑う番だった。この男たち、明らかな敵意の気配を滲ませながら、それでいて、身には寸鉄ひとつ帯びていない。術士か? それにしても、杖無しではたかが知れている。しかも緋女に襲い掛かるでもなく、ただ辺りを取り囲んで、突っ立っているだけなのだ。
 一体何のつもりなのか。先手を取って斬ってしまうのも躊躇われる。
 そしてその躊躇いこそが、緋女の敗因となったのである。
「《簡単な呪殺》」
 一瞬、のことだった。男たちが声を揃えて呪文を投げかけるや、緋女の身体を取り囲むようにおぼろげな光が生まれ、すぐさま消えた。何をされた? 思った時には男たちは踵を返し、逃げ出していた。
「待てコラァ! ……!」
 追いかけて捕らえようと、一歩を踏み出した、その時だった。激痛が骨髄から溢れ出し、そのあまりの凄まじさに、流石の緋女さえ悲鳴を上げて倒れ伏す。無論すぐに立ち上がろうとはした。が、今や痛みは全身に広がり、指一本を動かすだけで、身体を真っ二つに引き裂かれそうになる。
「なんだっ……テメ……何したァ!」
 蛞蝓のように這う事しか出来ぬ緋女。周囲の住人や通行人が騒然となって集まってくる。その人影の向こうで、術士たちはみるみる遠ざかり、最後に怯えた目でこちらを一瞥して――角の向こうに姿を消した。



勇者の後始末人
第9話“刃の緋女”