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資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

プリンセスには貌がない 1-1

 今は昔、さる王宮にひとつの仮面が伝わっていた。
 旧き戦乱の時代に何処かより略奪されたその宝物は、金属とも石ともつかぬ未知の素材でできていた。表面はのっぺりと滑らかで、触れてみれば指が凍えるほどに冷たい。およそ温もりを感じさせぬ曖昧な表情は、見るもの全てに漠たる不安を感じさせずにはいなかったという。
 尋常のものとは思えぬ、とは専らの噂。しかしプリンセス・アルテマはこの面が妙に気に入っていた。気になっていた、という方が正しいやもしれぬ。何かの折に宝物殿の仮面を一目見て以来、正体不明の居心地の悪さに悩まされぬ日はなくなり、とうとう父王に我儘を言って、半ば強奪気味に譲り受けたのであった。
「流行りのドレスよりあんなものが良いとは。年頃の娘は度し難いな」
 父王は苦笑しながら左右に零したものだ。
「しかし、欲しい物を是非にも奪うあの気概は、まさに王者の気質よ。いずれ迎えるべき婿殿はさだめし苦労するであろう」
 己のしたことが王宮の心温まる笑い話に変えられようと、姫は一顧だにしなかった。略奪した宝に夢中であった、ある意味では。乙女らしく飾られた――その愛すべき調度の多くは父王の見立てによるものであった――後宮の自室に、小さな壁掛け金具をとりつけさせ、そこに仮面を引っ掛けた。物言わぬ無機質そのものの貌を、朝に睨み、夕に見つめた。見れば見るほどに不快が募る。それでも見ずにはいられぬ。見ることで僅かばかり不安が和らぐ気がした。部屋に入り込んだ気色悪い毒虫は、家具の裏に隠れてしまわれるより、目の前で睨み合っている方がまし。そんな心持ちであった。
「汝は誰ぞ」
 一度だけ、口に出して仮面に問うてみたことがある。
「答えられぬか、痴れ者め」
 仮面の沈黙を敗北の証と見做したものであろうか。あるいは自分の愚かな行いを恥じたのであろうか。それからというもの、仮面に心煩わされることはなくなり、程なく面は数々の調度の一部として部屋に溶け込んでしまった。そしてそれっきり、二度と顧みることはなかったのである。

 あの雪の朝が訪れるまでは。