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資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

黒鐵の乙女 2

 患者、すなわち男爵令嬢クイッサは、塔の上に匿われていた。格子付きの重い扉に錠まで下ろされ、許しなくば寝床から起きる上がることさえできない、この状況を“匿う”と呼ぶのなら。
 クイッサには、まるで生気がなかった。見知らぬ狩人たちが部屋に上がり込んでも、眉一つ動かさぬ。寝床で仰向けになったまま、ただじっと天井を眺めているだけだ。まるで物言わぬ彫刻のように。
「クイッサよ。目覚めているな」
 男爵が使用人に命令を下すように言うと、娘は僅かに唇を開いた。はい、と、蚊の鳴くような声がそこから漏れる。外の穏やかな夜風の音にさえ掻き消されかねない声量。男爵は苛立ち、聞こえがしに舌を打つ。
「見るがいい。このありさまだ」
 男爵の手が、乱暴に寝具をめくり上げ、クイッサの身体を狩人たちの目に晒した。
 緋女は息を飲み、ヴィッシュは眉間に皺を寄せ、カジュは微動だにしなかった。三者を三様に狼狽させたものは、黒い鋼鉄の鎧――の如く変質した、クイッサの皮膚であった。
 透き通るような白い肌は、右の肩口から左の脇腹にかけて、何層にも重なった鱗のような組織に覆われている。触れてみると、質感は紛れもなく鋼のそれ。鉄鱗の根本を見れば、確かに肌から直接生えているらしい。
「発病は二月前、婚礼を目前に控えた日のことだった」
 と説明する男爵の声には、深い疲れの響きが混ざり込んでいた。
「花嫁衣裳の試着を手伝った侍女が異変に気付いた。ひとまず新郎側には急病と伝え、国中の名医や呪い師をあたってみたが、みな匙を投げた。剥ぎ取ろうにも並の刃物では歯が立たぬし、無理にやるとひどく痛がる――それに、剥いでもまた生えてくるのだよ」
 その説明の間も、ヴィッシュは手早く病状を確認していった。鱗の一枚を撫で、拳で軽く叩いてみて、
「何か感じますか?」
 いいえ、と、例の囁き声。
 ヴィッシュは頷き、後ろのカジュに目を遣った。
「やってくれ」
「ほいほい。」
 カジュは、齢十にしてこの世のあらゆる魔術を修めた、真の天才である。彼女は患者の前に立つと、小ぶりな短剣を鞘から抜いた。その刃へ息を吹きかけるようにして呪文を唱えたとたん、短剣が淡い青の光を放ちだす。
 一体何をする気であろう? 男爵は不意に不安を覚え、カジュに歩み寄らんとする。が、その前をヴィッシュの腕が塞いだ。
「お任せを」
 その声を合図に、カジュは短剣を患者の胸に突き立てた。
 耳障りな金属音と赤い火花が走り、それと同時に、患者の身体から黒いものが泉の如く吹き上がる。鎧だ。令嬢クイッサの肌を覆っていた鎧が、突如として伸び上がり、黒い触手となって辺りを無差別に襲い始めたのだ。
 触手の一本が天井に突き立つ。また一本が扉を打ち砕く。そして男爵の脳天を貫かんとした一本は、その直前、音もなく閃いた白刃によって斬り落とされた。
 女剣士緋女の、正確無比な一太刀によってだ。
 触手たちは、まるで苦痛を感じるかのようにのたうち回り、みるみるうちに収縮して、元の鎧に戻ってしまった。あとに残されたのは静寂と、あちこち破壊された部屋。冷や汗を浮かべた男爵に、他人事のように涼しい顔をしたクイッサ。あとは、落ち着き払った狩人たち。
 緋女は、足元に転がる触手の切れ端を無造作に拾い上げ、カジュに放った。受け取ったカジュも、その奇妙な戦利品を掲げ、降ろし、裏返し、じっくりと舐めるように観察して、ついには小さく溜息をつく。
「どうだ?」
 ヴィッシュに問われ、カジュは首を横に振った。
「フォーマント反応陽性。扇状紋あり。文句なしに|浮遊術式《フロートエンチャント》だね。」
「なんだそれは?」
 男爵は高圧的に尋ねたが、それに圧し潰されるようなカジュではない。小馬鹿にしたような冷たい目線を返し、
「早い話が呪いかな。」
「誰が娘に呪いなど!」
「誰でもないよ。これは戦時中に魔王軍がよく使ってた防御の術。術式を構築した後、何らかの理由――術士が死ぬとか――で、発動されないままになったのが、行き場を失ってそこらへんをふよふよしてたわけっす。それがたまたまこの人を対象に――。」
「分かった、もうよい。治るのか?」
「けっこう深く|魂《マナソース》と癒着してるからね……。
 |五《ウー》本|四《スー》本マックス|二半《リャンハン》かなー。」
 必要な時間は普通で5日、急ぎで4日、死ぬ気で徹夜作業すれば最短2日半、の意味の隠語であるが、無論男爵には通じない。ヴィッシュに伝えるために言ったことだ。それを聞いたヴィッシュはさらりと男爵に持ちかけた。
「7日でなんとかしてみましょう」
「そんなにかかるのか……」
「魔術の儀式は慎重を要しますから」