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資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/5

 翌日の午前一杯、アルテマは周辺の木立の中をそぞろ歩きながら、これからの身のふりようについて考えを巡らせていた。無駄なことであったが。王都が、国が、どうなっているのか、この森の中からは何も分からぬ。ここはまるで母の子宮だ。何も持たず、何も知らず、未だ何者でもない赤子を、外界から隠し、育み、守る、暖かな揺り籠。
 ずっとここに居たい。そう思ってしまう自分がいる。それがたまらなく嫌だった。城を追われ、辱められ、妹を焼き殺されて。これほどの仕打ちを受けながら、あまりの居心地良さに怒りが萎えてしまった自分が情けない。抗う気力は喪われていた。再び父の言葉が蘇る――ふたりで国を治めるのだ、と。アルテマは目を伏せ、幹に寄りかかり、震えた。
 ――やはり無理です、父上。わらわなどには……
 なにも得るもののないまま昼を迎えた時、アルテマは魔女の庭がいやに騒がしいのに気づいた。家の陰から覗いてみると、七、八人の魔物たちが集まっている。いずれもそれなりに人らしき姿はしていたものの、決して人の範疇には収まらぬ者ばかり。全身を蛇の鱗に覆われていたもの、水の如く透明な粘液質の身体をしたもの、翼あるもの、頭がふたつあるもの……。
 中央に単眼のミエルがいて、彼らと談笑していたのでなければ、アルテマは悲鳴をあげていたやもしれぬ。あの臆病で親切なミエルが、ああも心を許している。それが、彼ら異形の者達の無害を証明していた。
 それに、よくよく考えてみれば、アルテマ自身も姿形は似たようなものではないか。人里に出て包帯を外してみるがいい。とても人間とは思われまい。槍もて追われるのがおちだ。王女はもはや人外なのだ。ならば、彼らを恐れる必要がどこにあろう。
「ミエル」
 アルテマが声をかけ姿を見せると、ミエルはぴょんと陽気に飛び跳ねて――あの大人しい子が? 姫の顔が綻ぶ――駆け寄ってきた。魔物たちの方を指差して、上ずった声で言う。
「あのね、これ。ともだち!」
 そしてかかとを支点にして、くるりと舞うように周り、
「みんな! ともだち!」
 今度はアルテマを指して、“ともだち”に紹介してくれたのだった。
 こうして誰かに紹介されることには慣れている。王宮の宴に地方豪族や他国の使節が訪れるたび、王女アルテマは何十という相手に挨拶をさせられたのだ。この素朴な野原の宮殿においても、長年培った技能は遺憾なく発揮された。すなわち、麻のスカートの裾を優雅に摘み上げ、見惚れるほどに洗練されたやりようでもって、丁重極まる挨拶を送ったのであった。
「故あって名乗れませぬが、今日の幸運なる出会いを嬉しく思います。各々がた、お見知りおきを」
 ほう、といくつかの溜息がこぼれた。中には露骨な舌打ちも混ざっていたが。それを気にするアルテマではない。王宮においてもままあったことだ――少なくとも、彼女の目の届かぬところでは。
 それにしても、これほど多くの魔物が森に住んでいたとは、アルテマはこれまで想像したこともなかった。魔物というものは、10年前、魔王が倒された時にすっかり駆逐されたものと思っていたのだ。それがこうも大勢集まっているとは何事であろう。
「ミエルや。今日は何かあるのかえ?」
「モンのおまつり!」
「祭り?」
「まつり」
「行くというのか?」
「行くというのっ」
 ミエルが嬉しそうに頷いてみせた。モンはベンズバレン大街道の中程にある大きな街だ。王都の新港の中継地点として大いに賑わっているところで、とりわけ祭の時期には人口が倍以上にも膨れ上がる。そんなところに彼ら魔物が踏み込んだらどんな目に遭わされるか分かったものではない。自殺しに行くようなものだ。
「だいじょうぶ」
 ミエルは彼女の手を引いて、納屋の方へ導いていった。こちらの家は普段固く戸が閉ざされていて、アルテマは一度も入ったことがない。
 誘われるままに入り込んだそこは、なにか不気味な、しかしながら無性に好奇心を掻き立てる、冷えた黴の匂いに満ちていた。薄暗い家の中にいくつもの棚や引っ掛け金具が並べられ、そこに、見たこともない怪しげな品々が並んでいるのだった。
 たとえば、剣。あるいは盾。精緻な細工の施された宝石箱のようなもの。書物。冠。彫像。そして――一体何であろう? アルテマの持つ僅かな知識では、どのような物に似ているかさえ表現しきれない、訳のわからぬ謎めいた塊。
 魔女が大切に保管している品々だ。きっといずれも魔法の道具に違いない。中には恐るべき呪物も紛れ込んでいるやもしれぬ。背筋に冷たい予感が走り、アルテマはそっと身震いした。
 ……と。
 そのとき、姫はその中のひとつに目を奪われた。
 それは、仮面であった。少なくともそのようには見えた。だが、一体、これは――? 石でも金属でもない未知の素材で創られたそれは、のっぺりと顔料で塗り潰したような純白を、薄暗がりの中に浮かばせている。表面には細工一つなく、細く刻まれた目と口が、笑みとも憂いともつかぬ曖昧な表情を生み出すのみ。
 操られるようにアルテマは手を伸ばし、仮面に触れた。その手触りはさながら氷。業火で爛れた指先の熱に、融け混じりながら染み通ってくるかのよう――
「それ、ちがう」
 ミエルにスカートをちょいと引っ張られ、アルテマは我に返った。
「こっち!」
 ミエルが指差したのは納屋の奥。その壁には多くの仮面――先ほどの白い仮面とは全く異なる、色鮮やかで表情豊かな、楽しげだが平凡な――が、ずらりと並んでいるのであった。
 “ともだち”の魔物たちがぞろぞろと入ってくると、入念な吟味の末、それぞれお気に入りの面を身に着けた。さらに身体をゆったりとした上衣で覆ってしまえば、なるほど、仮装した人間のように見えなくもない。祭の興奮に溺れた酔っぱらいが相手なら、これで充分ごまかしが効くのだろう。
 見れば、ミエルがぴょんぴょんと飛び跳ね、必死に手を伸ばしている。アルテマは彼を抱き上げ、上の方にある真っ赤な面を取らせてやった。
 仮面を付けて上機嫌のミエルは、お返しに、であろうか、桃色の愛らしい乙女の面を取ってきて、アルテマの胸に押し付けた。
「わらわも?」
「行こ!」
 躊躇いはあった。もし人々に顔を見られたら? 賊軍どもに見つかったら? だが、数々の心配事にも関わらず、これは良い機会であると思われた。ずっとこの森に留まっていたい。そう思いながら同時に、ここで燻っていたくないとも感じていたのである。
 じっとしていると、下腹あたりが疼くのだ。次々浮かぶ余計な悪い考えに打ちのめされて。
「行こうか」
 己に言い聞かせるように答えて、アルテマは仮面を受け取った。
 良いではないか、追われるはめになったとしても。その時は、また逃げれば済むことだ。