資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/4

「魔女様がた。そなたらの親切にはいくら感謝してもしたりぬ」
 その日、囲炉裏を囲んでの夕餉の席で、唐突にアルテマはそう切り出した。ミエルは驚いて大きな目をもっと大きく見開いたが、魔女と大鬼は食事の手を止めはしなかった。骨付き鶏にかぶりつきながら、インバが応える。
「なーに、やぶからぼうに」
「何か酬いを差し上げたいが――」
「じゃ金貨一万枚」
 アルテマは絶句した。
 大鬼ガリが溜息をつき、
「インバ……お前なァ……」
「だーってぇ。くれるってゆーもんは気持ちよく貰ってあげないと、かえって失礼ってもんじゃない」
「いや、その……生憎と、わらわ、持ち合わせがないものじゃから……」
「オッケー。出世払いね」
 ガリは、ずい、とアルテマににじり寄り、小声で囁いた。
「お嬢ちゃん、気をつけろよ……うかつなこと言うと骨までしゃぶられるぞ……」
「ちょっとガリ! 聞こえてるわよっ!
 じょーだんよ、じょーだん! 誰がそんなガメつい真似するもんですか」
「そーか? けっこうやってる気が……いやなんでもない」
 魔女のひと睨みで大鬼は豆粒のように縮み上がり、他所を向いて茸のバターソテーをぱくつき始めた。隣でミエルがくすくす笑っている。つられてアルテマも口許を緩めた。いまなお皮膚は強張り、痛んでもいたが、堪えて笑えぬほどではなくなっていたのだ。彼らの他愛もない惚けたやりとりが、どれほど荒んだ心の慰めとなっただろうか。
「魔女様。さんざん世話になっておきながら、名も名乗らず事情も話さぬ非礼をお詫びする。どうかお赦しいただきたい――もし話してしまえば、そなたらに多大な迷惑をかけることになろう。
 故に、わらわは明日にもここを発とうと思う。いずれまた、礼をしに戻って参ります――」
 ――もしそれまで命があったなら。
 心の中で付け足しながら、アルテマは品良く床に指を揃え、深く頭を下げた。
 魔女ははじめて食事の手を止め、労るように問いかけた。
「……行くアテはあるの?」
「はい」
 ――いいえ。
 かねて用意の嘘だったが、実際口にしてみれば、それはアルテマを少なからず動揺させた。行く宛など、ない。もはやこの国に彼女の味方はひとりもおるまい。父は死に、妹も山火事の中で焼け死んだ。これから何をしていいかも分からぬ。まして、何処へ行けばよいかなど。
 涙が目の奥で湧き出しかけていたが、彼女は頑なにそれを押さえ込んだ。泣いてはならぬ、これ以上涙は見せられぬ、と。
 魔女は、無言で、何故かミエルの方へ目を向けた。ミエルは大きな単眼に涙を浮かべ、ふるふると首を横に振っている。
「……わかったわ。けど、もう少し待ちなさい。あと3日もすれば痛みは完全に消えるから」
「しかし……」
「たかが3日急いだところで何が変わるってもんでもないでしょ。
 それより、今の体で歩き旅なんかしたら、半日でへたばっちゃって、ろくに進めないと思うけど?」
「それは……そうかもしれぬが」
「だったらここでキッチリ治したほうが合理的じゃない。
 それに……あたしたちだって、せっかく助けた子に野垂れ死にでもされたら寝覚め悪いのよ」
 ぐうの音も出ぬ正論だった。アルテマは焦りに追われた胸のうちを見透かされたように感じて、悔しさと恥ずかしさに顔を火照らした。はい、と小さく答えるや、残りの料理を手早く掻き込み、よろめきながら立ち上がった。
「美味しく頂きました。少し失礼して夜風を浴びて参ります。火傷が疼くのです」
 そして、姫は外へ逃げ出した。その背を見送り、ガリが頭を掻く。
「かわいそうに。ありゃそうとう参ってるな」
「う……う……」
 ミエルが俯いて涙を零すので、ガリは彼のそばに寄り、大きな硬い手のひらで背中を撫でてやった。
 魔女インバは鶏の骨を齧りながらしばらく考え込んでいたが、何か思いついたと見えて、上機嫌に耳の横で骨を振り始めた。
「そーだ。明日の夜はアレがあったわね」