資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/1

2. 全き白の仮面


 枯れ草色の森の奥にはぽっかりと開けた原っぱがあり、そこに農家がふたつ並んでいた。
 木造藁葺に荒い土壁の掘っ建て小屋。中は囲炉裏を囲む細長い土間ひとつきりで、それを衝立が緩やかに分割している。農村でも基礎や壁に石材を用いる建築が珍しくない中、この家はいかにも貧しく古めかしい。ともすれば廃屋にさえ見えたかもしれない。しかし、壁や屋根に施された細やかな手入れは、確かに住人の息遣いを物語っているのだった。
 住人、すなわち、彼のことである。藁の寝台のそばに膝をつき、最前から溜息ばかり漏らしているこの――生物。一見人間の少年のようだが、目は顔の中央にひとつきりであった。異形の少年は、ぽかんと口を開けたまま、単眼を毬のように真ん丸と見開いて、寝台に横たわる少女を見つめている。
「きれい……」
 誰に聞かせるでもなく、心の声が口から漏れ出た。
 と、その吐露に惹き寄せられるかのように、少女は丸3日もの眠りから覚め、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
 誰あろう、アルテマ姫である。
 目覚めた姫が最初に見たものは、上からじっと睨み下ろす獰猛な単眼(驚きと恐怖が少しばかり認識を歪めていたことは否定できぬ)。姫は金切り声を上げ、咄嗟にその場を飛び退こうとして、全身の表皮を駆け回る恐るべき疼痛に二度目の悲鳴を上げた。痛い、と言葉にすることさえ脳が拒絶するほどの凄まじさ。涙が否応なく、ぼろり、ぼろりと、熟れた果実のもげ落ちるが如く零れた。腕も脚も、全身に包帯が巻かれていると気付いたのはこの時だ。
「ごめん、泣かないで、ごめん」
 単眼の少年が、自らも大粒の涙を落としながら囁いた。壁に引っ掛けてあった大きな帽子を掴み、巣穴へ逃げ込む小鼠を思わせる素早さで頭を突っ込んだ。次いで衝立の向こうに駆けて行き、綿の入った上着やら座布団やらを山と抱えて戻ると、アルテマ姫の周りを囲むように敷き詰めだしたのだ。
「寝て。ゆっくり。ね、ね」
 アルテマは、背中を二枚重ねの座布団越しに支える少年の手を感じた。その心遣いにも関わらず、寝そべるまでの僅かな動きは途方もない苦痛をもたらした。我慢して我慢できるようなものではない。涙は止めどなく溢れ、喉の奥からは情けない嗚咽が零れた。少年は姫が哭くたびに励まし、気遣い、一緒に泣いた。だからといって痛みが和らぐわけではなかったが。
 ――あの帽子は、異形の目を隠すためか。
   わらわを怖がらせぬために、か……
 少なくとも、そう気付くことができる程度には、姫の心に余裕が生まれたのであった。
 やっとのことで寝台に身を横たえ、アルテマは胸の奥に押し留めていた呼気を慎重に吐き出した。少年も安堵に微笑んでいる。目は帽子に隠れて見えぬが、少なくとも口元では。すまぬ、と彼に伝えたかったが、今は、声を出すのはおろか、ただ息を吐くだけでも辛い。
 しかし彼は、謝罪も感謝も求めてはいないようだった。
「待ってて。ひと、呼ぶ。ね?」
 不慣れな言葉を一生懸命に紡いだ、という具合にそう告げると、家の外へ飛び出して行ってしまった。
 残されたアルテマは、視線だけを動かして家の中を見回した。ここはどこであろう。一体何が起きたのであろう。記憶を少しずつ辿っていき、自分が森で火に巻かれたことを思い出した。ということは、誰かに命を救われたのか。いや、実はとうに死んでいて、幽世に落とされてしまったのか――
 ぼんやりと妄想にふけるアルテマの元へ、少年が大柄な男を連れて戻ってきた。男? いや、これも人間とは呼べぬ。筋骨隆々とした見上げるような体躯に、ハリネズミを思わせる金色の長い髪。額には左右一対の短い角。まさしく鬼そのもののなりであった。
 アルテマは、今度は驚きも慌てもしなかった。恐れていないわけではなかったが。
 ――まあ、取って食われはすまい。もしその気なら、とっくに事は済んでいた。
 そう腹を括っているのであった。
 半ば予想していたとおり、大鬼は妙に愛嬌のある笑顔を浮かべ、アルテマのそばにしゃがみこんだ。
「よかったな、お嬢ちゃん。もう大丈夫だぜ。
 おーいインバ! あの子目を覚ましたぞーっ!」
「そんな大声出さなくたって聞こえてるわよ、ガリ」
 返事は思いのほか近く――家の戸口あたりからきた。杖を突き、足を引きずり、それでもどこか溌剌とした気配を漂わせながら入ってきたのは、背の曲がった老婆。栗色の髪は老いてなお美しく、目は丸々と肥えたドングリのよう。
「おはよ。ま、聞きたいことは山ほどあるだろーけど……まずは腹ごしらえといきましょーか?」
 驚くべき事に、老婆の声は愛らしい小鳥のそれであった。