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資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

プリンセスには、貌が無い 1.かくして姫は全てを喪った(2)

 その日、王都では聖堂という聖堂から鐘の音が鳴り響き、片時も止むことがなかった。聖女トビアによるクレクオス王復活の奇跡、その故事に因んだ鐘だ。
 快癒を願う無数の声にもかかわらず、ベンズバレン王ザナクの容態は悪化する一方であった。力なき群衆の祈りなど、《病》と《死》の圧倒的猛威を前にしては何の効き目も持たぬのだろうか。あるいは、祈りの中にいくらかの不純物でも混じっていたのだろうか――王の死こそを望む者達の呪詛が。
 鐘をどこか遠くに聞きながら、ザナク王は間近に迫った死を予感した。そこで人を遣り、王として最後の役目を果たすべく、ふたりの子を呼び寄せたのだった。
アルテマ。ルナル。落ち着いて、王の言葉をよく聞きなさい」
 子どもたちの前では、己を王などと呼んだことのないザナクであった。王女は目に涙をため、小刻みに震えながらじっと王を見つめている。泣いてはならぬ、と念じていたのであろう。
 目の前に横たわるは、父ならぬ王。
 ならばその傍らに立つは、子ならぬ王子に他ならぬ。
 娘たちの聡明な態度に満足して、王は彼に出来うる限り素早く頷いた。すなわち、澱が水底に積もるかの如く鈍く。
「ルナルよ、この国は汝が継げ。アルテマよ、そちは姉としてルナルを輔けよ。ふたりで国を治めるのだ。国家の趨勢も国民の運命も、全てはお前たちの……」
 王は口をつぐみ、言葉の代わりに呻き声を漏らした。縋り付き父を呼ぶアルテマも、この痺れた手では撫でてやることもできない。
「父上……無理です。わらわには、とても……」
「いや、やらってもらわねばならぬ。魔王が倒れたとはいえ復興はまだ半ば。内患外敵も数知れず。余の死とともに、多くの難題が揃って蠢き出すであろう。社稷を守れるのは、そなたたちをおいて他にない。
 さあ、約束しておくれ。父を安心させておくれ……」
 そう言って王は微笑んだ。
 否。
 身体中を蝕む痛みに堪えながら見せたその笑みは、紛れもなく、優しい父のそれであったのだ。

 なのに、今。
 国を継ぎ、社稷を守ることはおろか。
 アルテマは我が身さえ守りきれず、下劣なる男の下に組み敷かれている。
 怒りが突如として煮え滾った。
 男は汗まみれの顔を俄に歪めた。快楽が頂点を迎えんとしていた。ために彼は我を忘れ、姫の腕を押さえつけることも一瞬忘れた。
 その好機を、逃すアルテマではない。
 咄嗟に掴んだ木の枝を、躊躇いなく男の眼球に突き立てた。男は掠れた悲鳴とともにのけぞり、さらに陰部を力任せに蹴り上げられて、悶絶しながら倒れ込む。
 アルテマは立った。もう一撃要る。冷静にそう判断すると、拳ほどの石を拾い上げ、雄叫びを上げながら男の頭蓋に叩き込んだ。
 もはや小さく痙攣するのみとなった男を捨て置き、アルテマは歩きだした――足は依然として痛む。そこでドレスの裾を千切り、太い枝を添え木にして括りつけた。痛くない、とはとても言えぬ。しかし何もしないよりはましだ。
 森の中を王者の歩みで進みながら、アルテマは繰り返し心に念じ続けていた。さながら、あの日父のために鳴らされた鐘の音のように。
 ――死にたくない。
  死ぬのは嫌だ。
  死ぬわけには――!

 程なくして、ひとりの傭兵が仲間たちに発見された。助け起こされた彼は痛みと衝撃のために混乱していた。なにしろ目を潰され、頭を割られたのだ。
「おい! ゴルタン、大丈夫か」
「馬鹿野郎、油断してるからだ」
 仲間たちの心配に、ゴルタンは意味不明の喚き声で答えた。と、不意に絶叫するや、仲間を突き飛ばし、その手に握られていた松明を奪い取った。
「あの女! 目ェ! 暗えよ! 暗えよォーッ!!」
 そして仲間たちの静止も聞かず、辺りを駆け回り、次々に火を付け出したのである。下生えも枯れて乾ききっている冬のこと、火は瞬く間に燃え広がり、傭兵たちが慌てて砂をかけ始めた頃にはもはや手遅れとなっていた。
「暗えよ……明るくしてくれよ!!」
 泣き喚くゴルタンを置いて、傭兵たちは逃げ出した。他にどうしようも無かったし、何より、姫を殺すという目的は、山火事が代わりに果たしてくれそうだったからである。

 アルテマの背後にも、炎の舌が迫っていた。
 足の痛みは一層酷くなり、下腹部の裂傷もそれに加わり、原因不明の吐き気までもが襲ってきた。そのうえ地獄を思わせるこの熱気、肌を焦がす炎の嵐。火は彼方(あなた)へ広がり此方(こなた)へ走り、アルテマの逃げ場をひとつひとつ奪っていった。このままでは――
 涙が零れそうになったそのとき、アルテマの髪に火が燃え移った。絹糸を思わせる、細く艶やかな桃色の髪だ。それが紅蓮の炎に包まれて、アルテマの頭を、体を、焼き尽くさんと這い登ってくる!
 泣き叫びながらアルテマは地面にのたうち回った。土に頭をこすり付け、転がり、暴れ、火を消し止めようと足掻きまわった。だが炎の勢いは留まるところを知らず、やがて皮膚が沸騰を始め、激痛が肌という肌からアルテマを蝕み、ついには頭全体が火の玉と化した。
 逃れようのない地獄の中で、アルテマはただ、叫んだ。叫び続けた。それだけが、彼女の命を繋いでいたのだ。
「……………るか……
 ……んでたまるかっ……
 死んでっ……」
 伸ばした手は、炎に包まれ。
 怒りの炎を、我が物として。
 声は、炎そのものの如く。
「死んでたまるかァ――ッ!!」
 そこで、アルテマの意識は途絶えた。

「魔風!」
 と老婆が呼び掛けると、その手の先から突風が迸り、行く手の炎を蹴散らした。燻る草木を踏みしめながら、老婆は悠然と近付いていく。火に巻かれ、黒く焼け爛れた少女の元へ。
「遅かったか……」
 曲がった腰をさらに曲げ、盲かけた目をくりくりと見開いて、老婆は少女の様子をうかがった。よくよく見れば、微かに喉が動いている。消え入りそうな呼吸の音が聞こえる。
「生きてるわ! こっちよ!」
 呼ばれて来た大男――いや、怪物?――は、少女を見るや眉間にしわを寄せ、静かな怒りに低く呟いた。
「こりゃあひどい……」
「うちに運びましょ。ガリ、そっち持って」
「よしきた」
 黒焦げのアルテマを軽々と肩に担ぎ上げ、ついでに反対の肩には老婆を載せて、ガリなる怪物はひょこひょこと歩き出した。
 何処とも知れぬ、森の奥へ向かって。





勇者の後始末人
第13話“プリンセスには、貌が無い”

1.かくして姫は全てを喪った 了