資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

プリンセスには、貌が無い 1-4

 故にユーナミア王女は大慌てで身支度を整えねばならなかった。いささか煩わしいのは否めない。我から言い出したこととはいえ。
 部屋に駆け込むなり姫は侍女たちを呼びつけた。7人総掛かりで服を着替える。優美なドレスは雑に脱ぎ捨て、飾り気のないゆったりとしたチュニクを纏う。足元は動きやすい焔織りのズボンに鉄面牛の革ブーツ。長く美しい桃色の髪は結い上げて帽子の中に捩じ込んだ。麻の頭陀袋を用意させ(無論そのようなものが姫のクローゼットにあるはずもなく、侍女の私物を充分な金貨にて贖った)、そこに幾つかの必需品を詰め込んだ。小さく丸めた外套、ビスケットを一袋、些少の金品。
 最後に一対の魔法の仮面を差し入れようとしたとき、姫は何かただならぬ気配を感じて顔を上げた。窓の外に目をやり、毅然とした声で侍女たちに命じる。
「もうよろしい。下がっておいで」
「しかし姫様……」
「わらわの言葉に従えぬかや? さあ、おゆき。呼ぶまで戻ってこないように」
 明らかに旅支度としか思えぬ姫の装いに侍女たちはみな不信の念を抱いていたが、主の命令には従わねばならぬ。彼女らが躊躇いがちにぞろぞろと居なくなり、一人になると、姫は緊張に唇を結んだ。いよいよ急がねばならぬ。侍女の誰かが父王に報告を上げることを思いつき、そして実行に移すだろう。その前に事を済まさねば。少なくとも、もう取り返しがつかなくなるところまでは。
 ユーナミアは鼓動が高まるのを感じた。生涯感じたことがないほどの激しさだ。先の見えぬ未来への期待と不安がないまぜとなり、体中の血が沸騰する。
 ふと、手にしていた仮面の一方に目を落とした。“愚者”の仮面。そうだ。愚かにならねば。あらゆる小賢しい保身を吹き飛ばしてしまうほどに。
 仮面を被れば、不思議と躊躇いは掻き消えた。窓を押し開け、身を乗り出す。前に揺れるは庭木の杉。下は目も眩むほどの高さ。だが恐怖はない。余計なものは大喰らいの“愚者”が皆飲み込んでしまった。
 袋を肩にかけ、窓に足掛け、大きく息を吸い込んで――姫は、跳んだ。
 跳んで庭木に跳びついた。
 が、思いの外軟弱だった庭木は姫の体重を支えきれずたわみ始め、
「わっ……わ、わ」
 大きく弓なったかと思うと、背筋の凍るような破砕音とともに折れ飛んだ。
「わあ!?」
 風が耳元で唸り、みるみる地面が迫り、もはやこれまで! と目を閉じた彼女を、飛来した何者かが掻っ攫った。一瞬の出来事。気が付けば、姫は遥か上空にいた。城の屋根を見下ろす青空の只中に。
「え!?」
「動くなよ」
 耳元で男の声がした。そこでようやく、己の身体が後ろから男の腕に抱き締められているのだと気付いた。咄嗟に縛めを逃れんと藻掻くが、鍛え上げられた膂力には全く歯が立たぬ。
「《風の翼》の術は制御が難しい。落とされたくなければ大人しくしているんだな、シンジル王女ユーナミア殿下」
「汝は誰ぞ!」
 背後に頭を回せば、辛うじて男の顔が見えた。むっつりとして笑み一つ浮かべぬ無愛想。野獣を思わせる顔立ち。
「ブラスカ」
 そして声は、天地を掻き乱す嵐の如くであった。