資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

ザナリスの昏き竜姫 1-2

 あの娘がここを訪れたのも、そんなある日のことだった。代わり映えしない退屈な朝。後の騒動の予感など一切感じさせない普段通りの起床ベルに、僕は叩き起こされたのだ――

  *

 詳しくは思い出せないが何か妙に不安な夢から覚めて、僕は漠然とした不快にしばらく眉をひそめていた。見慣れた〈個室(セル)〉の天井は“岩ならぬ岩”のグレーに覆われ、重苦しく僕の頭上を塞いでいる。冷気にすら似た異様な静けさが、鼓膜の内側に染み入ってくるかのようで――
 静けさ?
 僕は悲鳴を上げて跳ね起きた。さっき聞こえたのはベル。〈学園(ハチノス)〉全体に響くよう細工された起床ベルだ。〈生徒(セルウス)〉の大半はこれを合図に目を覚ます。が、僕の場合はそうは行かない。第三ハチノス全512室、僕の居室は最上層のそのまた最果てだ。教室までの所要時間は、他の生徒に比べて優に半時間は上回る。
 身だしなみもほどほどに(ほどほどとはいえ髪をとかす程度はやっておいたのは、見栄が半分、委員長(ダンクレア)の服装検査を恐れたのが半分)、僕はカバンを引っ掴んで〈個室(セル)〉を飛び出した。廊下を駆け抜け階段飛び降りアクビしていた猫を踏んづけかけて、つんのめるもなんとか耐える。けたたましい抗議の声を上げた猫に、
「ごめんねっ!」
 と手早く謝罪を済ませ、長い長い空中通路に飛び込んだ。
 空中通路は、恐るべき高さまで積み上げられた白骨の壁――我ながらハチノスにぴったりな形容だ――の天辺から、遥か下方の教室棟まで、緩やかな螺旋を描きつつ下っている。そこから眺める景色が僕は好きだ。スタルカスなどは怯えて目を向けようともしないのだけど。
 なぜならば、ここからは壁の外の〈砂漠(ウェイスト)〉が見えてしまうから。
 4つあるハチノスの周囲は、堅牢な城壁で囲まれている。その向こう側の荒野を眺めることができるのは、最上層住まいの特権だ。といってもちろん、見ていて気持ちの良い景色ではない。果てしなく続く赤土の平野。そこには僅かな凹凸が刻まれているばかりで、草木もなければ生き物の姿もない。非現実的に青一色の空の下、流血にすら似た砂礫がじっとわだかまっているだけだ。
 だが僕には、その光景が何故か心躍らせるもののように思える。少しはましじゃあないか? 整ってはいるし、美しくすらあるけれど、ただ灰と白ばかりのハチノスよりも。目の覚めるような色に満ちた外の世界のほうが。たとえそれが、血赤色であるにせよ。
 そんなことを考えながら見とれているうちに、僕はやらかしてしまった。
 何を? もちろん、遅刻に決まっているじゃないか。