読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

資材置場

いまだ作品の形にならぬ文章を一時保管する場です。

刃の緋女 2

 感情は炎の如きもの。燃え盛っているのは明らかでも、その形は常に揺らいでひとつの姿に留まらない。掴みどころなどあるはずもなく、それでいて、手を突っ込めば肌を痛烈に焼き焦がすのだ。
 とりわけ緋女にとっては手に余る代物であっただろう。何しろ彼女は、言葉というものがよく分からない。言葉にはいまひとつ信頼が置けない。なにしろ、どんなに言葉を練ったところで、胸の中にある炎の全てをいい果せた試しがないのだ。賢い者たちにとっては、そうでもないのかもしれないが。
 そうしたわけなので、緋女は言葉にならない憤りを胸の中に溜め込んだまま、第2ベンズバレンの小径をうろついた。特に目的はない。ただ歩きたかっただけだ。体を動かしていれば、こうした怒りの正体について、ふと理解できることもある。できないこともある。少なくとも、こうしているうちにいずれ感情の火勢が弱まり、消し炭の中の微かな赤熱の如くなって、拾い上げることも忘れ去ることも容易になるだろうから。
 そんな風に心と身体を強張らせていたからだろうか。自分を取り囲む悪意の気配に気付くのが、一瞬遅れた。
 緋女は我に返り、当たりを見るでもなく見回した。ここは要塞通りの裏小路。左右は背の高い建物が城壁さながらに建ち並び、ゆったりと弧を描く石畳の路に、いくらかの通行人が流れている。
 怪しい者の姿は見えない。が、緋女の鋭敏な嗅覚が、建物の裏や曲がり角の向こう、屋根の上などに散在する体臭を確かに嗅ぎ取っていた。
 緊張の匂い。恐怖の匂い。それらを上から塗り潰す、力強い憎悪の匂いだ。
 通行人が通り過ぎ、巻き添えの心配がなくなるのを待ってから、緋女は足を止めた。刀の柄にそっと手を掛け、辺りに首を巡らせながら呼び掛ける。
「出て来いよ。相手になるぜ」
 憎悪の中に戸惑いの匂いが湧き立つのが感ぜられた――と、ひとりが前方に立ちはだかったのを皮切りに、横から、後ろから、あるいは上から、十人あまりの男たちが姿を現した。
 今度は緋女が戸惑う番だった。この男たち、明らかな敵意の気配を滲ませながら、それでいて、身には寸鉄ひとつ帯びていない。術士か? それにしても、杖無しではたかが知れている。しかも緋女に襲い掛かるでもなく、ただ辺りを取り囲んで、突っ立っているだけなのだ。
 一体何のつもりなのか。先手を取って斬ってしまうのも躊躇われる。
 そしてその躊躇いこそが、緋女の敗因となったのである。
「《簡単な呪殺》」
 一瞬、のことだった。男たちが声を揃えて呪文を投げかけるや、緋女の身体を取り囲むようにおぼろげな光が生まれ、すぐさま消えた。何をされた? 思った時には男たちは踵を返し、逃げ出していた。
「待てコラァ! ……!」
 追いかけて捕らえようと、一歩を踏み出した、その時だった。激痛が骨髄から溢れ出し、そのあまりの凄まじさに、流石の緋女さえ悲鳴を上げて倒れ伏す。無論すぐに立ち上がろうとはした。が、今や痛みは全身に広がり、指一本を動かすだけで、身体を真っ二つに引き裂かれそうになる。
「なんだっ……テメ……何したァ!」
 蛞蝓のように這う事しか出来ぬ緋女。周囲の住人や通行人が騒然となって集まってくる。その人影の向こうで、術士たちはみるみる遠ざかり、最後に怯えた目でこちらを一瞥して――角の向こうに姿を消した。



勇者の後始末人
第9話“刃の緋女”

刃の緋女 1

"S.o.S.;The Origins' World Tale"
EPISODE in 1313 #A09"Hime; the Edged"/The Sword of Wish


 緋女の激怒は面に出ない、むしろ潮の引くように静まるのだ――ということを、ヴィッシュはその時初めて知った。
 彼女の顔に貼り付く、仮面のごとく無機質な表情。それはどこか、獲物を前にした狩人の顔にも似ている。
「……一緒に行くって言ったじゃん」
 冷たく研ぎ澄まされた抜き身の刃を思わせる、低く落ち着いた声色だった。日頃の騒がしさが嘘のよう。その静けさがかえってヴィッシュの不安を掻き立てる。彼は思わず目を逸らした。手元の細工仕事に取り掛かるふりをして。
 思えば、いさかいの原因は実につまらないことであった。事の起こりは3日ほど前。仕事中の雑談で、たまたまツェーニクの“音楽会”の話になった。港湾区の空き倉庫を借りて週に一度開かれているパーティ。そこには若い音楽家やダンサー、詩人、あるいはただのお祭り好きが寄り集まり、呑んで歌って踊り狂って、夜が明けるまで好き勝手に騒ぎ遊ぶのだ。
 緋女は大いに興味を示し、連れて行けとねだった。ヴィッシュとしても悪い気はせず、なら一緒に行こう、と約束した日がまさしく今夜。
 だが折悪しく、明日の朝から後始末人協会の急な会合が、それも遠く離れた西教区で行われることになったのだった。しかもヴィッシュ君是非参加せよと名指しされては、いつものようにすっぽかすわけにもいかない。となれば、今日の昼過ぎから泊まりがけで行かねば間に合わない。
「仕方ないだろ、仕事なんだから」
 後ろめたさを誤魔化すようにそう言うと、緋女の間髪入れぬ答えがあった。
「あっそ。いつまでも仕事大好きなヴィッシュでいてね」
「なんだその言い方!」
 しまった、と思った時には遅かった。既に声を荒げてしまっていた。後悔はすれど、吐いた唾は飲み込めない――いや、飲み込めないこともないのかもしれないが、それよりも、口惜しさのほうが勝っていた。
 無論、悪いのはヴィッシュだ。なにしろ緋女との約束の方が先なのだ。それに、名指しで呼びつけるくせに直前まで連絡しない協会の態度も気に食わない。以前のヴィッシュなら、会合など知ったことか、と一蹴していたに違いない。
 それでも足を運ぶ気になったのは、緋女たちとチームを組んだからこそだ。自分一人なら好きなだけ“まつろわぬもの”をやっていればよいが、仲間のできた今はそうもいかない。面倒でも協会員との繋がりを密にして、緋女たちに割のいい仕事を回してやりたい。
 そんな気持ちが、かえって彼を頑なにさせている。その矛盾を半ば自覚しながら己の感情を御しきれずにいる。一口に言えば、苛立っていたのである。
「音楽会は来週でもいいだろ」
「もういいし。あたし行かない」
「お前……!」
「っるせーな、わめくんじゃねえよ。頭痛え……」
「……勝手にしろっ」
 ふらりと出ていく緋女の背を見送りもせず、ヴィッシュは不機嫌にそっぽを向いた。
 その一部始終をじっと見つめる目がふたつ。奥の階段に腰掛け、小さく溜息を吐くのは、言うまでもなくカジュである。
「あーあ。コドモだね。」
「どっちが?」
「分かってるくせに。」
 カジュはひょいと肩をすくめ、
「まあ……。そうだね。
 夕べ、緋女ちゃんうっきうきで寝られなかったみたいよ。と、老婆心ながら付け加えておきます。」
 ヴィッシュは完全に沈黙した。

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/7

 魔女の家に帰り着いた時には、もう夜半を過ぎていた。アルテマは速やかに旅支度を整えた――といって、財産は数えるほどもなかったが。魔女がくれた若かりし頃の服。これは姫の慎ましやかな乳房にぴったりと合っていた。大鬼ガリがくれた頭陀袋。外套の裏に吊るすことも出来る。そして、ミエルがくれたビスケットの包み。驚くべきことに、ここで口にした数々の美食は、みな彼の手によるものだったのだ。
 音もなく、そっと母屋の外に出て、アルテマは庭を一望した。彼女を癒やしてくれた森の異界。今は青い月光を浴びて、草木はさやさやと揺れ歌っている。凍るような静けさにも関わらず、その光景は燃え広がる炎の如く思われた。青い炎。熱もなく姫の肌を焼く、逆襲の炎。
「で、挨拶もなしに行こうってわけ?」
「わあ!?」
 突如背後で囁かれ、姫は飛び上がった。冷汗まみれで振り返れば、そこには腰の曲がった魔女インバが悪戯な笑みを浮かべている。後ろには、ひょいと気楽にしゃがんだ大鬼ガリまで。
 いや、ここで気迫負けをするわけにはいかぬ。アルテマは胸をそらし、精一杯に虚勢を張ってみせた。
「言えばお止めになったでしょう。わらわは行かねばならぬのです」
「どうして?」
「父は死の床でわらわに申しました。王亡き後、蠢き出すものがあろうと。王弟ジャコマは必ず国を乱します。乱が長引けばハンザもシュヴエーアも黙ってはおりますまい。鎮めねばなりませぬ」
 魔女は黙って聞いていた。姫は滔々と語りながら、自らの言葉を信じてはいない己に気付いていた。違う。違う。そうじゃない。
「相手は強いわ。あなたひとりでどうこうできる相手じゃない。まず負ける……殺される。分かってるの?」
「分かりませぬ」
 そうだ。
「わらわは勝つ」
 それだ。
「勝つために征く!」
 それがお前だ。
「わらわはアルテマ
 ベンズバレン第一王女、アルテマ・ク・テラス・リンゲンロート!
 そしてルナルは、我が妹じゃ!!」
 沈黙があった。
 張り詰めた緊張の末、インバは――微笑んだ。知性と優しさ、そして多分な悪戯心を併せ持つ者の笑いだ。
「……だそうよ。そろそろ出てきたら?」
 と、呼ばれて納屋から現れたのは、誰あろう、ミエルであった。頑丈そうな旅装束に身を包み、背には背嚢、手には木の棒(杖? それとも槍?)、頭はお気に入りの帽子をかぶり、騎士さながらの佇まいでアルテマを睨んでいるのであった。
「まさか」
 アルテマが口を開くと、間髪入れずにミエルは吠えた。
「行く!」
「ならぬ! 危険じゃ!」
 ミエルはただただ、首を横に振る。たったひとつの目に、見惚れるほど強靭な意志を込めて。
 大鬼ガリが、柔らかな眼差しを向けながら、ぽんと彼の肩を叩いた。
「こいつ、ずっと準備してたんだぞ。おまえさんが旅立つときには絶対一緒に行くんだ、ってな」
「行く」
 小さな騎士は、鼻息まで吹いて。
 その決意を、一体誰に止められようか。
「ミエルや」
「ん」
「行こう。わらわを助けておくれ」
「うん!」
 トト、と小走りにミエルが駆け寄り、アルテマの傍らにふんぞり返る。姫は胸を締め付けていた悲壮感が、雪の解けるように緩んでいくのを感じた。きっと、彼は助けになってくれよう。ただ、そこに在るだけでも。
 魔女はふたりに頷きかけると、手にぶら下げていた布包みを差し出した。
「じゃあ、あたしからも餞別よ。きっと役に立つわ」
 開けてみれば、それは仮面であった。街へ行く前、納屋の中で見た、あの仮面。魔法めいた不自然の純白に塗り込められた、何者ともつかぬ面。
「これは――」
 にやり、と魔女は笑って、
「《全き白の仮面》」




 2.全き白の仮面 了

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/6

 夕暮れを迎えたモンの街路は、煮え滾る鍋の中にすら似ていた。美しく舗装された大街道に、今夜ばかりは数え切れぬほどの屋台露店がひしめき合う。食い物ならば、脂滴る炙り肉、山と積まれた焼き菓子、駄菓子、飴玉の類に林檎の蜜漬け、揚げ魚。飲み物ならば、麦酒、米酒、蒸留酒から果実のサイダー、冷やし飴。他愛もない玩具や飾りや縁起物、果ては怪しげな書画骨董に至るまで、良悪美醜委細を問わずあらゆるものが人々の手を行き交い、誰もが全身を楽器として、この日の興奮をひとつの旋律に謳い上げるのであった。
 街道の関所を守る番兵さえ、今日ばかりは酔っ払って使い物にならぬ。それぞれに懇意の女を連れこんで、日も暮れぬうちから面白おかしく運動に励むありさま(そちらのほうは、文句なく使い物になったと見える)。この国の王女として思うところはあったが、仮装した魔物の群れが街に入り込むには好都合である。
 アルテマは、逸るミエルに手を引かれ、小走りにモンへ駆け込んだ。ああ、なんという騒がしさであろうか! 王宮に暮らした彼女は、これまで何度もらんちき騒ぎに巻き込まれたことはあった。だがこれは、宮廷の、上品な音楽と節度ある笑いに彩られた宴とは全く違う。たとえるならば、ひとつの木に羽を休める百万の種類もまちまちな鳥達が、一斉にあらん限りの声で囀り始めたかのよう。
 そこら中で村娘が、青年が、あるいは大人ぶった幼い恋人たちが、果ては腰の曲がった爺婆までもが、調子っぱずれな音楽に合わせて勝手気ままに踊り狂う。それを奏でる吟遊詩人たちは、演奏の合間合間に酒瓶を引き寄せることを欠かさない。仮面のもの、仮装のものも数知れず。もはや誰が誰とも知れず、全て人々が混沌としてひとつであった。
 そう。人ならざる者どもさえも。
 そこらの青年が、アルテマの前にスゥと影のように進み出て、丁重に頭を下げた。その気取った間抜けな仕草は、しかしアルテマの心を楽しませた。ミエルが背中を押してくれた。おかげでよろめき、うっかり青年の手をとってしまい、そのままステップを踏む破目になってしまった。青年は概ね親切で、悪い気分にはならなかったが。
 振り返れば、ミエルもそこらの女性に捕まって、犬猫のように可愛がられている。おお神よ、いたずら者には相応の報いを。
 不意に青年がアルテマの手を離した。戸惑っていると、今度は別の女がアルテマを抱き寄せる。相手を変えてもうひと踊り。その次は小柄な少年。それから屈強な樵らしき髭面。誰もが優しい。誰もが笑っている。とうとうアルテマも笑い転げた。仮面の下。コロコロと、転がるような声のみを表に響かせて。
 次々に多彩な相手と手を取り合い、好き勝手に踊り、気に入らなければ離れ、気に入ってもいつかは離れ、その繰り返しに夢中になるうち、気がつけばすっかり日が暮れて、辺りは夜の蒼と篝火の紅に塗り分けられた。
 さすがに踊り疲れて、アルテマは道の脇へ抜け出した。あたりを見回すが、一緒に来た魔物たちはおろか、見えるの姿さえどこにもない。
「ミエル! どこじゃ?」
 呼びかけに応えて、ミエルがよろめきながら群衆を掻き分け現れた。小さく愛らしい彼は、魅力的なお姉様がたに絶え間なく愛撫され続けたと見えて、着物も撚れ、仮面も傾いていた。
「羨ましいのう、人気者」
 からかいながら仮面をつけ直してやると、ミエルは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「やだ」
「可愛がられていたではないか?」
「かわいいって、みんな言う。ぼく、やだ!」
 今頃、仮面の下ではぷうと頬を膨らましているのだろう。男の子とはこうしたものか。うっかり吹き出してしまうところだったが、彼の矜持を思って堪えた。
「のう、ミエルや。いささか疲れた。そこの店で一服していかぬか」
 指差した先には酒場の看板。今日は戸板も外してしまい、祭り客に飲み物食い物を提供しているようだった。
 ミエルは首を横に振り、
「ぼく、蜜林檎、買ってきていい?」
「よいとも。わらわは中におるから、買っておいで」
 元気よく頷いてミエルは駆けていき、アルテマは店に入った。もう日も暮れたというのに、中はそれなりの盛況であった。威勢のいい店の娘が開いている席に導いてくれ、匂いたつ葡萄果汁を持ってきてくれた。アルテマは口をつけかけ、木のコップが仮面にぶつかる音を聞いて、ようやく自分が仮装のままだったことを思い出したのだった。
 素顔を見られたくはない。仮面を少し持ち上げ、下からコップを差し入れて飲んだ。果汁はたまらなく酸い味がしたが、それがかえって、燃えるような身体を心地よく冷ましてくれる気がした。
 周囲の客たちは、それぞれの興奮をそれぞれに満喫しているようだった。あるものは女を口説き、あるものはひたすら酒を喰らい、またあるものはテーブルに付して惰眠をむさぼる。あらゆるものが幸福に見えた。あるいは、その中にいる自分こそが幸福だったのか?
 いっそこのままで良い、と思えた。森の中で抱いていた焦りや無力感は、どこかに消え失せてしまった。父王は言った、社稷を安んじる者はそなたらを除いて他にないと。アルテマもそれを真に受けた。国を追われてこのままでいるわけにはいかぬ、と。だが実際はどうだ? この街の人々は、上の政変など素知らぬ顔で――事実知らないのかも――楽しげに暮らしている。
 ならば、それでよいのではないか? そうだ。森に戻って、魔女インバに相談しよう。この化物面でも畑仕事くらいは手伝えるやもしれぬ。そうして生きていこう。ときに街へ出て、こうして踊っていれば、憂いさえ吹き飛ぶ。それでよいではないか。
 アルテマの胸は、今やそんな希望で満たされていた。まるで、この陽気な踊り子の仮面が、彼女そのものになってしまったかの如く。
 果汁のふたくち目を飲んだとき、ふと、後から店に来た男が目に入った。引き締まった身体をした、背の高い、暗い目をした男だ。彼を見るや店主が声をかけた。男は疲れ気味に手を挙げて応え、アルテマの隣のテーブルに身を沈めるや、何か酒の名を呟いた。店主が酒瓶を手に、男の向かいに座る。その一挙一動を、アルテマはじっと見つめていた。なぜだろう、何か不快な――いや、不安な気配をこの男から感じるのである。
「お見限りでしたね、旦那。お姫さまはご一緒じゃないので?」
 ぎくり、とアルテマの肩が震えた。彼女のこと――ではない、ということはすぐに気づいたが。
 男は苦笑して酒をすする。
「ここんとこてんてこ舞いでね。女たちは別口で大忙しだ」
「そりゃあ残念。わたしゃ、あの子のファンなんだ」
「伝えとくよ。喜ぶだろうさ」
 早くも一杯目を飲み干して、男は、そっと店主に顔を近づけた。そこから先はほとんど囁き声になる。あえて聞こうと耳を澄ましていたアルテマ以外には、とても聞き取れなかっただろう。
「なあ。この街の様子はどういうことだ? どうして祭りなんかやってる……」
「はあ。そりゃ、毎年恒例ですから」
「てことは、やっぱり何も知らないんだな」
「何を?」
「王都でクーデターが起きた。9日前のことだ」
 店主が凍りついた。
 アルテマも、また。
「そりゃあ……ええ……? 一体どういうことで……」
「ザナク王の病死と同時に、王弟派が蜂起した。城は一晩で陥落。今、王都は門を閉ざして情報統制をやってる。しかし、ま、知れ渡るのも時間の問題だな」
「大事じゃありませんか」
「大事だよ。北の豪族や東南の軍閥あたりはすぐにも動き出すだろう。内戦になるかもしれん。
 あんたなら自治会にも顔が利くだろ。今のうちに、街として身の振り方を考えといたほうがいい……」
「あの……ですがね、旦那、王様にはお子さんがふたりもいたはずですよ。お姫さまがたはどうなったんです?」
 男は顔を曇らせた。そして、信じられぬことを口にしたのである。
「第一子アルテマは死亡。
 そして第二子ルナルは――王弟派に捕らえられて軟禁だ」
 脳が、揺れるかに思われた。
 第二子ルナル。
 囚われて、軟禁。
 叫び出したいのを、泣き出したいのを、アルテマは必死に堪えた。
 ――生きている。
   ルナは、生きている!
 果汁の代価を机に叩きつけ、アルテマは椅子を飛び降りた。そのまま駆け出し、戻ってきたミエルとぶつかり、そのまま勢い余って抱き合って、
「ミエルや! 帰ろう、すぐに帰るのじゃ!」
「えっ?」
「魔女に力を借りる。
 わらわには、やらねばならぬことがある!」
「あっ……」
 ミエルは何かを察したようだった。
 姫の手を取り、力強く頷くさまは、さながら栄誉ある騎士のよう。
「うんっ!」

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/5

 翌日の午前一杯、アルテマは周辺の木立の中をそぞろ歩きながら、これからの身のふりようについて考えを巡らせていた。無駄なことであったが。王都が、国が、どうなっているのか、この森の中からは何も分からぬ。ここはまるで母の子宮だ。何も持たず、何も知らず、未だ何者でもない赤子を、外界から隠し、育み、守る、暖かな揺り籠。
 ずっとここに居たい。そう思ってしまう自分がいる。それがたまらなく嫌だった。城を追われ、辱められ、妹を焼き殺されて。これほどの仕打ちを受けながら、あまりの居心地良さに怒りが萎えてしまった自分が情けない。抗う気力は喪われていた。再び父の言葉が蘇る――ふたりで国を治めるのだ、と。アルテマは目を伏せ、幹に寄りかかり、震えた。
 ――やはり無理です、父上。わらわなどには……
 なにも得るもののないまま昼を迎えた時、アルテマは魔女の庭がいやに騒がしいのに気づいた。家の陰から覗いてみると、七、八人の魔物たちが集まっている。いずれもそれなりに人らしき姿はしていたものの、決して人の範疇には収まらぬ者ばかり。全身を蛇の鱗に覆われていたもの、水の如く透明な粘液質の身体をしたもの、翼あるもの、頭がふたつあるもの……。
 中央に単眼のミエルがいて、彼らと談笑していたのでなければ、アルテマは悲鳴をあげていたやもしれぬ。あの臆病で親切なミエルが、ああも心を許している。それが、彼ら異形の者達の無害を証明していた。
 それに、よくよく考えてみれば、アルテマ自身も姿形は似たようなものではないか。人里に出て包帯を外してみるがいい。とても人間とは思われまい。槍もて追われるのがおちだ。王女はもはや人外なのだ。ならば、彼らを恐れる必要がどこにあろう。
「ミエル」
 アルテマが声をかけ姿を見せると、ミエルはぴょんと陽気に飛び跳ねて――あの大人しい子が? 姫の顔が綻ぶ――駆け寄ってきた。魔物たちの方を指差して、上ずった声で言う。
「あのね、これ。ともだち!」
 そしてかかとを支点にして、くるりと舞うように周り、
「みんな! ともだち!」
 今度はアルテマを指して、“ともだち”に紹介してくれたのだった。
 こうして誰かに紹介されることには慣れている。王宮の宴に地方豪族や他国の使節が訪れるたび、王女アルテマは何十という相手に挨拶をさせられたのだ。この素朴な野原の宮殿においても、長年培った技能は遺憾なく発揮された。すなわち、麻のスカートの裾を優雅に摘み上げ、見惚れるほどに洗練されたやりようでもって、丁重極まる挨拶を送ったのであった。
「故あって名乗れませぬが、今日の幸運なる出会いを嬉しく思います。各々がた、お見知りおきを」
 ほう、といくつかの溜息がこぼれた。中には露骨な舌打ちも混ざっていたが。それを気にするアルテマではない。王宮においてもままあったことだ――少なくとも、彼女の目の届かぬところでは。
 それにしても、これほど多くの魔物が森に住んでいたとは、アルテマはこれまで想像したこともなかった。魔物というものは、10年前、魔王が倒された時にすっかり駆逐されたものと思っていたのだ。それがこうも大勢集まっているとは何事であろう。
「ミエルや。今日は何かあるのかえ?」
「モンのおまつり!」
「祭り?」
「まつり」
「行くというのか?」
「行くというのっ」
 ミエルが嬉しそうに頷いてみせた。モンはベンズバレン大街道の中程にある大きな街だ。王都の新港の中継地点として大いに賑わっているところで、とりわけ祭の時期には人口が倍以上にも膨れ上がる。そんなところに彼ら魔物が踏み込んだらどんな目に遭わされるか分かったものではない。自殺しに行くようなものだ。
「だいじょうぶ」
 ミエルは彼女の手を引いて、納屋の方へ導いていった。こちらの家は普段固く戸が閉ざされていて、アルテマは一度も入ったことがない。
 誘われるままに入り込んだそこは、なにか不気味な、しかしながら無性に好奇心を掻き立てる、冷えた黴の匂いに満ちていた。薄暗い家の中にいくつもの棚や引っ掛け金具が並べられ、そこに、見たこともない怪しげな品々が並んでいるのだった。
 たとえば、剣。あるいは盾。精緻な細工の施された宝石箱のようなもの。書物。冠。彫像。そして――一体何であろう? アルテマの持つ僅かな知識では、どのような物に似ているかさえ表現しきれない、訳のわからぬ謎めいた塊。
 魔女が大切に保管している品々だ。きっといずれも魔法の道具に違いない。中には恐るべき呪物も紛れ込んでいるやもしれぬ。背筋に冷たい予感が走り、アルテマはそっと身震いした。
 ……と。
 そのとき、姫はその中のひとつに目を奪われた。
 それは、仮面であった。少なくともそのようには見えた。だが、一体、これは――? 石でも金属でもない未知の素材で創られたそれは、のっぺりと顔料で塗り潰したような純白を、薄暗がりの中に浮かばせている。表面には細工一つなく、細く刻まれた目と口が、笑みとも憂いともつかぬ曖昧な表情を生み出すのみ。
 操られるようにアルテマは手を伸ばし、仮面に触れた。その手触りはさながら氷。業火で爛れた指先の熱に、融け混じりながら染み通ってくるかのよう――
「それ、ちがう」
 ミエルにスカートをちょいと引っ張られ、アルテマは我に返った。
「こっち!」
 ミエルが指差したのは納屋の奥。その壁には多くの仮面――先ほどの白い仮面とは全く異なる、色鮮やかで表情豊かな、楽しげだが平凡な――が、ずらりと並んでいるのであった。
 “ともだち”の魔物たちがぞろぞろと入ってくると、入念な吟味の末、それぞれお気に入りの面を身に着けた。さらに身体をゆったりとした上衣で覆ってしまえば、なるほど、仮装した人間のように見えなくもない。祭の興奮に溺れた酔っぱらいが相手なら、これで充分ごまかしが効くのだろう。
 見れば、ミエルがぴょんぴょんと飛び跳ね、必死に手を伸ばしている。アルテマは彼を抱き上げ、上の方にある真っ赤な面を取らせてやった。
 仮面を付けて上機嫌のミエルは、お返しに、であろうか、桃色の愛らしい乙女の面を取ってきて、アルテマの胸に押し付けた。
「わらわも?」
「行こ!」
 躊躇いはあった。もし人々に顔を見られたら? 賊軍どもに見つかったら? だが、数々の心配事にも関わらず、これは良い機会であると思われた。ずっとこの森に留まっていたい。そう思いながら同時に、ここで燻っていたくないとも感じていたのである。
 じっとしていると、下腹あたりが疼くのだ。次々浮かぶ余計な悪い考えに打ちのめされて。
「行こうか」
 己に言い聞かせるように答えて、アルテマは仮面を受け取った。
 良いではないか、追われるはめになったとしても。その時は、また逃げれば済むことだ。

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/4

「魔女様がた。そなたらの親切にはいくら感謝してもしたりぬ」
 その日、囲炉裏を囲んでの夕餉の席で、唐突にアルテマはそう切り出した。ミエルは驚いて大きな目をもっと大きく見開いたが、魔女と大鬼は食事の手を止めはしなかった。骨付き鶏にかぶりつきながら、インバが応える。
「なーに、やぶからぼうに」
「何か酬いを差し上げたいが――」
「じゃ金貨一万枚」
 アルテマは絶句した。
 大鬼ガリが溜息をつき、
「インバ……お前なァ……」
「だーってぇ。くれるってゆーもんは気持ちよく貰ってあげないと、かえって失礼ってもんじゃない」
「いや、その……生憎と、わらわ、持ち合わせがないものじゃから……」
「オッケー。出世払いね」
 ガリは、ずい、とアルテマににじり寄り、小声で囁いた。
「お嬢ちゃん、気をつけろよ……うかつなこと言うと骨までしゃぶられるぞ……」
「ちょっとガリ! 聞こえてるわよっ!
 じょーだんよ、じょーだん! 誰がそんなガメつい真似するもんですか」
「そーか? けっこうやってる気が……いやなんでもない」
 魔女のひと睨みで大鬼は豆粒のように縮み上がり、他所を向いて茸のバターソテーをぱくつき始めた。隣でミエルがくすくす笑っている。つられてアルテマも口許を緩めた。いまなお皮膚は強張り、痛んでもいたが、堪えて笑えぬほどではなくなっていたのだ。彼らの他愛もない惚けたやりとりが、どれほど荒んだ心の慰めとなっただろうか。
「魔女様。さんざん世話になっておきながら、名も名乗らず事情も話さぬ非礼をお詫びする。どうかお赦しいただきたい――もし話してしまえば、そなたらに多大な迷惑をかけることになろう。
 故に、わらわは明日にもここを発とうと思う。いずれまた、礼をしに戻って参ります――」
 ――もしそれまで命があったなら。
 心の中で付け足しながら、アルテマは品良く床に指を揃え、深く頭を下げた。
 魔女ははじめて食事の手を止め、労るように問いかけた。
「……行くアテはあるの?」
「はい」
 ――いいえ。
 かねて用意の嘘だったが、実際口にしてみれば、それはアルテマを少なからず動揺させた。行く宛など、ない。もはやこの国に彼女の味方はひとりもおるまい。父は死に、妹も山火事の中で焼け死んだ。これから何をしていいかも分からぬ。まして、何処へ行けばよいかなど。
 涙が目の奥で湧き出しかけていたが、彼女は頑なにそれを押さえ込んだ。泣いてはならぬ、これ以上涙は見せられぬ、と。
 魔女は、無言で、何故かミエルの方へ目を向けた。ミエルは大きな単眼に涙を浮かべ、ふるふると首を横に振っている。
「……わかったわ。けど、もう少し待ちなさい。あと3日もすれば痛みは完全に消えるから」
「しかし……」
「たかが3日急いだところで何が変わるってもんでもないでしょ。
 それより、今の体で歩き旅なんかしたら、半日でへたばっちゃって、ろくに進めないと思うけど?」
「それは……そうかもしれぬが」
「だったらここでキッチリ治したほうが合理的じゃない。
 それに……あたしたちだって、せっかく助けた子に野垂れ死にでもされたら寝覚め悪いのよ」
 ぐうの音も出ぬ正論だった。アルテマは焦りに追われた胸のうちを見透かされたように感じて、悔しさと恥ずかしさに顔を火照らした。はい、と小さく答えるや、残りの料理を手早く掻き込み、よろめきながら立ち上がった。
「美味しく頂きました。少し失礼して夜風を浴びて参ります。火傷が疼くのです」
 そして、姫は外へ逃げ出した。その背を見送り、ガリが頭を掻く。
「かわいそうに。ありゃそうとう参ってるな」
「う……う……」
 ミエルが俯いて涙を零すので、ガリは彼のそばに寄り、大きな硬い手のひらで背中を撫でてやった。
 魔女インバは鶏の骨を齧りながらしばらく考え込んでいたが、何か思いついたと見えて、上機嫌に耳の横で骨を振り始めた。
「そーだ。明日の夜はアレがあったわね」

プリンセスには、貌が無い 2.全き白の仮面/3

 そこからの回復は目覚ましいものだった。朝夕にかけてもらう魔法が効いたのか、旨い食事が活力を呼び戻したのか、日を追うごとに痛みは軽くなった。2日目には会話と咀嚼が可能になり、3日目には手足が動かせるようになり、7日が過ぎた頃には足の骨折も――インバ婆曰く、「よくこれを我慢してたわねえ」――魔法の力ですっかり良くなり、介添えなしに歩き回れるようになっていた。
 その間に、インバたちは少しずつ順を追ってあの夜の出来事を説明してくれた。インバと大鬼ガリは、逃げ惑うアルテマの馬車を偶然見かけ、なんとか救おうとして追ってきたのだという。崖下の森を探し歩いているうちに山火事になり、焼死寸前の姫をなんとか救い出した。そしてこの家に運び、傷を手当して――そこから先は、知ってのとおり。
「なぜ追われていたの?」
 5日目の晩、インバは穏やかにそう尋ねた。アルテマが口をつぐむと、もはやそれ以上詮索はしなかったが。
 7日目、アルテマはひとりで家を出た。朝の草むらには爽やかな冷風が流れ、火傷の肌を慰めるように撫でていった。ゆったりと揺れる木々。幾重にも重なる小鳥の声。空は高く雲ひとつなく、今のアルテマの目にはいささか眩しすぎる。
 逃げるように視線を落とせば、原っぱの奥に小さな泉が見えた。興を覚えて歩み寄る。山からの雪解け水が湧き出しているらしい泉は、磨かれた硝子鏡さながらに煌めき、空の青を我がものとして臥している。
 その澄んだ水面に、アルテマは前々からの懸念を思い出した。そして泉の淵に膝をつき、顔に巻かれた包帯を――よせばよいものを――ほどきだしたのだった。
 泉を鏡として見た己の顔は――顔は――!
「これがわらわか」
 震える声を、聞いたものはなかった。たとえ聞いたとして、どんな慰めを言えただろう。詩にさえ謳われた桃色の髪はひと房、ふた房を残すばかり。肌は溶岩の如く爛れ、幾多の貴公子を魅了した天使の微笑みは見る影もない。水面に映るものは見るに耐えぬ異形の怪物。この世のいかなる悪徳にも増して憎まれるべきもの――醜さ。
 ただふたつだけ無傷で遺った宝石、榛色の瞳さえ、今となっては不気味さを際立たせるものでしかない。
 その宝石に涙を浮かべ、アルテマは泣いた。
 幸い草むらの中に身を潜めれば、誰かに見咎められる心配はなかった。